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珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

スリル・ミー-2014/11/18-

2014/11/18(火)ソワレ

銀河劇場

3階センター

キャストさん

私:尾上松也

彼:柿澤勇人

ピアノ伴奏:林勝哲

この公演については特によくネタバレを気にする声を目にします。

公式サイトのストーリーへのリンク貼らせていただきますので

まだ観ていないけれどこれから観たいと思っている方は参考にしていただいて

感想を読むか決めていただけると良いかと思います。

感想はネタバレです。

よろしいですか?

スリル・ミー公式サイト:ストーリー

http://hpot.jp/stage/tmjp2014/story

●スリル・ミーを見るまで

オススメだよ~とか、

是非見て欲しい~とか言われてはいたけどどうしても見たい舞台があって

観る機会がなかったスリル・ミーやっと行けました( `•ω•´ )

私としては2回くらいチャンス逃してるんだよね~という感覚でしたが

2011年初演で今回が5回目の再演とパンフレットで知りました。

私、多ければ4回逃してます、予想以上に逃してます(笑)

天王洲アイルに行くまで

天王洲アイル・銀河劇場へ行くのはジャンベ叩きにいって以来でした。

今回行く時、りんかい線に乗って行ったのですが、

りんかい線の駅見てたら行きたいところの駅ばっかでまじか!ってなりました。

劇場近いし、大崎止まるし、植物園近いし羨ましいな~_(-ω-`_)⌒)_

●銀河劇場について

銀河劇場の3階席行ってみて、はっ!としました。

これは五反田キャッツシアターに似てない?

既視感です!!

私は今回スリル・ミー自体を観に行ったのであんまり気になりませんでしたが

出演者の顔のあたりに手すりが被って視界良好とはいえません。

出演者を見るためには適さない席でした。

●スリル・ミーの舞台

舞台は基本黒色。

舞台は1階と2階がある。

1階部分は客席が軽くコの字になるほど前にせり出している。

舞台上には真ん中に大きな四角い台があり、中央は木目、淵は白チョークで塗られているようになっている。

淵は場面に応じて赤など色が変わることもあり、エビータのよう。

台の真ん中の部分だけ舞台奥へスライドする。

小道具として小学校の机みたく動かせる机の上にタイプライター、

長椅子、電話とミニテーブル、電灯が上手にあり、“彼”のスペース。

下手にはタイプライター以外のものがあります、これが“私”のスペースと言ったところでしょうか?

2階部分の上手には唯一の楽器ピアノがある。

2階と1階は真ん中にある片側(上手側)しか手すりのない黒い階段で繋がれていて

絞首台を連想させるなぁと思いました。

●パンフレットについて

あらすじをパンフレットで初めて読んだんですけど大分“彼”ヤバイなと思いまして。

そして年を経ない“彼”は絶対好きになれないと思いました。

“私”も良さげに見えるから同情させるのかああ~と思うけどやっぱりヤバイことには変わりないです。

パンフの対談にあった

同性愛には彼氏彼女だけでなく彼氏彼氏、彼女彼女の関係もあって、

スリルミーの場合は“彼”が彼氏で“私”が彼女

というのを先に見ていたのは良かった気がします。

見てみてあ、ホントだって思いました。

●34年後の“私”

舞台へ上ってきた私はなんだかボソボソ話していて青年に思えなかった。

というより声だけでなく舞台へ上ってくる時に存在が暗すぎると思いました。

“私”の言葉はボソボソ話しているのにも関わらず、ちゃんと意味は分かって不思議でした。

何ででしょう?ほんと不思議です。

明瞭に言葉が聞きとれるわけではなかったような気がします。

でもはっきりと意志を持って言葉が伝わりました。

で、そこで歳をとっているのだと声で分かりました。

感情がないのではなく、この世のものではないかのような存在で話すのです。

●“彼”と“私”

“私”と“彼”が出てきて数分、いや一分経たないうちだったと思いますけど、

これは顔を一発グーで殴ってやらねばと思いました。勿論二人共です。

殴ってやらねばというのは目を覚まして欲しいからです。

が、もし私が殴ったとしても目を覚まさないからこそスリルミーのペアなんでしょうね?

あらすじで読んでいた時はまだ紙の上だから和らいでいたものが全て、

目の前で全身によって表される“彼”に大変苛立ちました。

こいつぁむかつくぜ!と思いつつも黙っていましたが、「超人」だとか言いだしていよいよ狂ってます。

なによりむかついたのが“私”の求めている言葉を感情がないわけではなく、

愛など“私”から求められている感情のみ排除した風に言って投げることです。

でも言って投げた時には私も諦めてもうどうにでもなれと思っていましたけれど(笑)

“私”は本当に“彼”が好きです。

好きっていうのは溺れるように傾いてしまっては駄目だなというのは恋愛でなくても思うことです。

34年後の“私”に聞いている人が「自分の意思はなかったのですか?」と私も思ったことを聞いていましたが、

“彼”に尽くすというのが“私”の意思なんでしょうね。

もう何も言えない。

あ、私結構このお話のエンドはびっくりしましたけど、

もう早々に依存しすぎで引いてるんで特に恐いなぁとか思わない…あそこで皆さん何を思うものなんでしょうね?

“彼”は家族に愛されている気がしなかった。

“私”は愛されている環境にあるがために愛する者に愛されることを望んだ、と思ったり。

なんだかんだ言っても愛される側は愛を受け止める必要があるのだから

“彼”はただ者じゃなかったり~と思っていたらエンドであれだからやっぱ違うかも。

一つ叶わなそうなものを入れておく、すると他の案が通りやすくなるだろ、

そんなことをH×Hのジンは言ってましたね。

弟を殺すと言っておいて、他の誰かに妥協したように見せて殺人をすることを叶える、

“彼”は詐欺師です。

●連想

もし深読みをされてしまったら困るなぁと思うので一応言わせていただきたいです。

ただ一部分ここだけ似てる、印象が似てる、雰囲気が似てる、

そういった直感で連想した作品をこの先あげます。

共通点はあったとしても1作品1作品違うことは知っていますし、混同してはいません。

最近朗読をとても真剣に聞いたのです。

私にしては本当に色々考えました。

その他にも多くの作品に触れてきた気がします。

観ている最中浮かぶ感想が“今、スリル・ミーを観ているからこその感想だなぁ~”と思うことが多かったです。

最近本当にタイミングいいんですよねぇ~

ここまでタイミングいいことってそうないと思うんですけどね?

有難すぎてどうすればよいのか分からぬほどツイています。

最近声が気になるから舞台から離れてるんかな~と思ってましたが、

朗読とかで触れた作品に影響された感想になる、

気づけることが多くなるというのは有難いことです!感謝(*˘︶˘*).。.:*♡

「超人」というのは違うけど、

“彼”の何も感じない、そういった理由での犯罪は

こないだ江戸川乱歩の「心理試験」「屋根裏の散歩者」で読んだ。

これはこの時代のトレンドなんですかね?

同性愛だと思って例を出すわけじゃないんですけど

エドガー・アラン・ポーの「病院横丁殺人犯」のデュパンと己は相当変だと思っていました。

己の態度は変だと思うのです。

スリル・ミーは乱歩の書く世界観、ポーの血生臭さと暗さを感じる気がします。

これは私が明確に書きたくないので思いきりぼやかしますが、

34年後の“私”は朗読で聞いたあの作品のあの人を思い出させます。

パンフレットより

「雷光が超人と呼ばれる/ふつうの人にとって、超人は悪魔のようにしか見えぬであろう/大地はいつか超人のものとなる/超人こそ大地の定義である」

最近雷という単語を見るとイコール雷神ソーとなり、思いをはせてしまいます。

(雷神ソーもしくはトール北欧神話の最強の戦神)

そうか~人を超えてるんだから超人はソーのことかなぁ?とふわりと思うわけです(笑)

愛を超越するとはどういうことだろう。

ラインの黄金を手にするということですかねぇ~なんて^^

そうでないのは分かっています。

「自由です」と解放された“私”

無伴奏ソナタの自由と言われ解放された主人公を思い出しました。

そこはかとなく感じるアメリカ感。

“私”が仮釈放された時に無意識に発された声はとっても素直でした。