2015/03/07(土)マチネ
一応スペースを空けておきますが何ということ書きません、書けません。
能舞台には屋根があり、四角い舞台の上にある屋根を支える四本の柱がそのまま残されている。
舞台は白い玉砂利で囲まれている。
舞台から下手側に伸びる通路、橋掛にも屋根が付いている。
橋掛の両脇にも白玉砂利が敷かれており、松が何本か植えられている。
上手側には建物のような部分が見えるが実際に客席は無い。
席には御簾が掛っているような席もある。
つまり横に広く視界は開けているけれど、縦に視界は開けていない。
席には前列座席の背にモニターが付いていて字幕を見ることが出来る。
解説・能楽あんない 「熊野」の風雅と『平家物語』 佐伯 真一(青山学院大学教授)
上手、茶室の構造であるような壁の下に小さい扉がありそこから登場。
お話を思い出すと、とりあえず最初に阿弥陀仏48と桃色観音Zを思い出す(笑)
これは昔の遊女には宗教の関わる名前が付いていて
熊野という名がついた遊女がいたというお話故。
(今はいないですよねという流れからアイドルの例えに。)
平宗盛が情けない武将だったというお話を聞いたんですけども
私にはどうも情けないとは思えなかったです。
当時の情けないという評価だけじゃなくて
家族愛等を持っている人情の人だったというお話を聞いてそう思ったので感想間違っていないと思いますけれど。
最後の時、潔く死ねるよう重い甲冑を身につけ海に身を投げ沈んでいった世、
宗盛は飛び込もうとしなかったので偶然を装って部下がぶつかり海に落としたそうな。
それでも宗盛は泳ぎが得意であり、折角海に落としたにもかかわらず泳いでしまった。
この時一緒に息子も海に落ちていた。
宗盛は息子が沈んだら自分も沈もうと思い、息子は父が沈んだら私も沈もうと思い、
2人は泳いでいたというお話だったと思う。
あと基本悪く書かれてばかりの宗盛だけれど褒められたこともあった。
義経が正装をして歩く行事?に参加した時、義経の格好があまり格好良くなかったので
宗盛の時はあんなにきれいで立派だったのになぁという類の言葉を発している。
武士なれども貴族的な衣装を身につけて似合う人であったと。
橋掛から「~かろ!」が特徴的なお兄さん登場。
鶯のかごを置いて離れた所へ行き、歌声を楽しむために野原へ来た模様。
召使いが鳥を取ろうとやってくる。
そういえばやってくるまでの過程も実際舞台上で同じところをグルグル回るだけなんです。
背景も変えないので自分の想像力で補って世界を色付けしていきます。
鳥を取ろうとするけれども召使いは取るのが下手。
それを知ったお兄さんは取って見ろ~というのです。
刀だけ取られれば良かったのに余分に物を取られてしまった、
後悔ってのは先には出来ないんだなぁ的な?
狂言は舞台上で急に人が生きます。
橋掛では静かに進み出てきてる様はとっても無表情。
これから物語へ入っていく観客と共に無になる瞬間をつくる作用がある気がしました。
なんとなく橋掛は幕の役割をしている気がします。
能 熊野(ゆや) 當山 孝道(宝生流)
最初に橋掛から出てくるのは笛、小さい太鼓、大きい太鼓と演奏者の皆さん。
続いて小さい上手の扉から物語を言う人たちや小道具などなどを動かす人たち。
そして宗盛と家来登場。
宗盛の方、めっちゃいい声!
なんていうんだろう?響く声です!
宗盛と家来は仮面はつけません。
宗盛見てたら思ったのですが足が不自然なんです。
曲がっているんですよね多分。
半中腰みたいな体勢でびっくりです!
宗盛は椅子に座るのですが座る様子がまんまビーストで可愛かったです(笑)
朝顔さんの着物可愛らしかったです。
仮面を結ぶ紐も綺麗に装飾されています。
熊野さんが登場するまでは橋掛は歌舞伎の花道と違って演技空間ではないのだな~と思っていたのですが、
熊野さんは橋掛の途中で客席を向き、アピールする瞬間があります。
つまり自分を見せる場=舞台ですよね。
帰っていく時も1アクションあったと思うのでやっぱり熊野さんは橋掛も舞台のうちなのですねぇ。
熊野さんは牛車に乗るんですが、
牛車は電話ボックス位の大きさのアーチで表現されます。
熊野さんは牛車に乗れば立ちっぱなしですし、動けませんし、
脇正面からだと車輪が見えていますがきっと正面、中正面からでは見にくいでしょう。
そういえば楽器のチューニング時間があります。
小さな太鼓(小鼓)も大きな太鼓(大鼓)も
淵を叩いて「カッ」と音を鳴らす時と、中心を叩いて「ポンッ」と音を鳴らす鳴らし方がありました。
何度聞いても安定した音が鳴っていて素晴らしいなぁと思いました。
太鼓のお2人は演奏中「よぉ~っ」という声だけは沢山発されます。
私は特に大きな太鼓の方の声がコナンの目黒警部(茶風林さん)の声に似ているなぁと思い気になりました。
書いて見ると多少残っているものもあるのかなぁと思えますけれど
観た気持ちとしてはとりあえず見られて嬉しかったなぁと思い、
今体験する良さ、能の表現が出てきた時に気づけるのではないかという期待、
まだ能を楽しむのには早いなという気づきがありました。
ずっと観たかったので見られて良かったです!