珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

ジーザス・クライスト=スーパースター-2018/02/04-

2018/02/04 ソワレ

サンシティ越谷市民ホール 大ホール

 

座席 真ん中の真ん中

 

キャストさん

ジーザス・クライスト 神永東吾

イスカリオテのユダ 佐久間 仁

マグダラのマリア 山本紗衣

カヤパ(大司教) 金本和起

アンナス(カヤパの義父) 吉賀陶馬ワイス

司祭1 佐藤圭一

司祭2 賀山祐介

司祭3 真田 司

シモン(使徒) 本城裕二

ペテロ(使徒) 五十嵐 春

ピラト(ローマの総督) 村 俊英

ヘロデ王 阿部よしつぐ

 

 

【男性アンサンブル】

渡久山 慶

小野功司

南 圭一朗

ビョンヒサン

白倉一成

宇龍真吾

中村 伝

安斎恵太

杉本 崇

永瀬俊秀

大萬昇太

山下泰明

 

【女性アンサンブル】

光川 愛

原口明子

小島光葉

花田菜美子

小島由夏

林 香純

矢野侑子

森川温子

加藤久美子

生形理菜

若松小百合

小松真美

 

 

 

 

ネタバレです。

 

よろしいですか?

 

 内容順不同です。

 

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施設:サンシティホール

サンシティ越谷市民ホールの壁面、

波打つコンクリートを照明の光が縦に溢れるデザインで

似てないんだけどル・コルビュジエノートルダム・デュ・オー礼拝堂思い出す。

ロンシャン礼拝堂 | ル・コルビュジエとパリの建築を訪ねて(フランス)No.9 | Tabi/世界の建築 | お知らせ | デザイナーズマンション,株式会社リネア建築企画

コンクリートの下が一部煉瓦造りになっててお洒落。

客席の背には木が使われてて

全体的に硬いようでいて温かい雰囲気がある劇場だなと。

 

全国公演だと普通のホールにいきなり荒野が現れたという感覚が強くて

ALW作品には幕がないという点も

より印象深くなるなぁと思いました。

 

 

 

JCSは同じ内容を複数回見るという意味を感じる演目だなぁと感じます!

見てすぐだけどまた観たいと思いますよね〜

スルメ。

JCS何回見た?と聞かれて数えたら

今日合わせて5回なんだけど〜少ない〜

 

JCSだけに限らないけどJCS観た時は無知だなぁというのを自覚し直しますよね。

知らないことや考えの及ばないことの多さ、

同じ公演を見ていたはずなのに人の数気づきがある感じ、

気づきからの深め方ですよね

単純に凄いなぁと思う〜

JCS奥深すぎていつまでも初心者マーク🔰です〜

ちなみにこれ前回も言ってるんですが次回JCS見る時も私絶対思うでしょうね!

 

 

 

 

一番最初のギターの音、

ギター全然分かんないけどあの音ははじいてるの?

漂うように妖しく音が揺れてるのがもうほんっっっと格好良い!!

民衆が出てきて流れる「テン、テン、テンッテーテ、テン」に入ってくる

「ペ、ポン~」みたいな音あれやばい好き!

 

 

 

神永ジーザスが象徴・偶像のように美しい姿、すーっと高い音まで伸びる声で

あまりにも清く、ただそこにあるという存在ばかりを感じていたのに

「思い出すだろう」の後にスラッシュが入るくらい

「思い出すだと」から自問自答で人間味が溢れ出してくるのだなぁと思って。

先入観もあるんですがあまりにも存在が浮世離れしている姿からのスタートだから

「思い出すだと」以降の迷いから見えるちっぽけである人間らしさ、一人の男ということ。

 

調べると前回観てから3年くらい経ってるらしいから3年で何があったか分かんないですけど

民衆が出てきて違和感を覚える、今回違和感への気づき早かったなぁと感じていて。

今回ジーザスを取り巻く民衆を見て

良くも悪くも人気者とその周囲の人々という関係性に見えて。

普通に思うけどかなり近しい間柄の人でも分かり合えないこと沢山ある。

相対する人によって話や雰囲気変わるのは当然だと思うから知らない一面なんてものは沢山あるものだと思う。

例え人気者が変わらないとしても周囲の人々が変わらないとは限らない。

全体の一側面切り取って見て鵜呑みにして知ったような気になってしまう。

多数に流されて自分で判断することが出来ない。

気を付けなければやってしまうことだと思うし、よく見かけることですよね。

それが視覚化されたような印象を受けました、直球に言えばTwitterです。

 

悪役が黒だとします。

その場合、あまりにも白すぎるというのは違和感と共に恐れを抱くんだなと改めて思います。

周りがグレーでも純白というのはグレーが黒かと錯覚させてしまうような。

悪役が黒だとします、と最初言いましたが

実際に悪役らしい悪役なんてほぼほぼ存在しなくて

白だと思って行動して黒になってたりするんだと思う。

それこそ「やりすぎは良くないぞ」

また、個人が各々でより良い選択をして組み合わせると

黒くなっていってしまうこともあるんだなぁ、歯車が噛み合わないように。

 

 

 

佐久間ユダデビューおめでとうございます!

佐久間ユダの荒野に佇む、ただそれだけの姿が照らされて

シルエットが強調される場面の映え方が凄い!

 

民衆にのまれず俯瞰する冷静さを持っているように感じつつ、

ジーザスとユダが同等の立場・親しい間柄での語りかけに感じました!

からしっかりした人なんだなぁと思った矢先、

マリアに対してキスさせる相手じゃない等々言いに行くのを見てると

ジーザスにはその冷静さをもって見つめることが出来ず

理想を抱いてしまう特別な存在なのだなぁと思います。

ここに矛盾と葛藤を感じる。

JCSの世界では矛盾と葛藤の中で皆生きているんだなぁなんて。

 

同じ立場というのからだと思うんですが

ジーザスが神に「なぜ私は死ぬのか?」と問いかけて答えを求める姿と、

ユダが神に「なぜ利用された?」と問いかける姿が被って見えて

それは今まで気づかなかったなぁと思ったのでした。

 

伝わらないと思うけど神永ジーザスを想う佐久間ユダは

THE BLACK PRINCEの諏訪部ランカスター公を想う高橋ヘンリー・パーシーのような間柄に感じたんですよね、

謙りつつも親しい距離感や建前と旧知の仲の両面感じる呼び名の変化とかありそうな感じ。

 

佐久間ユダ、よくスンラ・金森ユダに似てるという感想見かける気がする〜

うち初見の一回だけしか金森ユダ拝見していないからか似てるとは感じなかったんだけど

ここまで見かけると具体的にはどの辺りが?!とお聞きしてみたくなる、

聞いて分かるかは分かんないけど(・×・)

→お聞きしてみてああ~と思えるとこはありました!

 

 

 

今までヘロデは甘やかされて育てられて楽しいおもちゃを日々探している、

自分の命令が通らないことなどない暮らしをしている印象だったんですが

阿部ヘロデは考えや行動は極端だけれど頭が良さそうな雰囲気を感じて

国を治めている感があるなぁと思って!

見てるからノートルダムの鐘でジプシーのクロパン演じられてるの知ってるわけです。

安い酒場で酒を飲んで仲間と語らう上品とは言えない雰囲気あると思う、クロパンは。

それがヘロデになると高貴さと威圧感で王度高めに思える!

 

カテコの阿部ヘロデ、

進み出てきた時に麗しい〜って自然に思うくらい高貴さ美しさがあるのね!

両手を上に上げて礼をする時のロイヤルさ凄い!

人差し指かな?と思うんですが指一本ピンと伸ばして

バレエの中指意識した手のように洗練された美しい指先が

ずっとキープされたまま優雅にお辞儀するの!!

 

 

 

ピラトの夢の内容がそのままの通りになっていく様は本当に怖い。

ピラトはジーザスがただの男だと思っても、

民衆はジーザスを十字架にかけることを望み、

ジーザスも自分の運命はピラトにどうこう出来るものではないことを知っていて逆らう気がない。

それなのにピラトは手を汚すってほんともう_(:3」∠)_

 

よくよく考えたら自由劇場以外でのJCS初めてでして。

比べると越谷のホールは音が広がって聞こえるような気が私はしたんだけど

鞭打ち周辺の村ピラトの歌声もの凄いなぁと思いまして!

聞こえるというか響いてくるというかなんか凄いとしか言えないんだけども…_(:3」∠)_

 

 

 

カテコ

ジーザス中心に出演者が手を繋いで円を作るとこ、

舞台上部に立場的に偉い役の方々がいて

ぎゅっと身体寄せあって手を繋ぎ合ってるのめちゃくちゃ可愛いですよね和む(笑)

 

スーパースター、佐久間ユダ中心にソウルガールがくるくると回るとこ、

雰囲気から女性が周りにいるのに慣れている感じがして、

その後のダンスもちょっと印象変わって見える^^

 

 

 

序曲

(見る前の曲聞いての感想ベースです↓)

音楽を聞いて気持ちがはやり高まっていくと同時に

荒野に人々が集まって明確な意図を持って手を伸ばし始める・視覚での高まりがどんどん蓄積されていき、

ジーザスが民衆の一人の手を取った瞬間、

トランペットのスーパースター最初のメロディによって一気に解放されるの気持ちいいから怖さもある。

この解放されるって感覚は

ムソルグスキーの『展覧会の絵』の「鶏の足の上に立つ小屋」から「キエフの大門」に

移行する感覚と似てる気がすると私は思うんですけどどうなんだろ〜

 

 

 

本城シモンのお顔が隈取されてるように見えるくらいはっきりされてるなぁと思ったのと、

善意でもって求心力で率いていくような様が真っ直ぐであるがゆえに歯がゆいなぁと思ったのと。

 

 

 

マリアは歌声からか清いイメージが先行してるとこがあるんですが

ジーザスに対して「堕落させようか」と歌っているのを聞いて。

今まで愛したことがないのに娼婦をしていて

今まで男性は堕落させる相手だったんだなぁとシンプルに感じたり。

その中で「かわいい」「愛してる」と感じることでの

心の豊かさへの芽生えとでもいうんでしょうか?

 

 

 

JCSの主役は民衆ってとこあるけど

ALW作品で初めて民衆の怖さを感じたのがエビータだった為に

JCS見るとエビータ思い出すんですが

昨日のキャストさんがエビータの貴族で拝見した方々でなんか熱い^^*

 

 

 

そういえばJCSに背が高く鍛えられてるだけじゃなくて身体が厚いというのかな?

屈強って感じの方がいらっしゃって、

皆さんあんなに背が高く鍛えられてる中で目立ったから気になってるんだけど

どなたなんだろう?

 

 

 

さっきチラッと感想見つけたのであれですけど大森シモンめっちゃ見たい_(:3」∠)_