あくまで感想です。
グレイテスト・ショーマン見てきました(`・ω・´)ゞ
ものすごく、ものすごく気になることがありすぎる!!凄く調べたい欲が凄い!
アメリカで鉄道が走る頃は新大陸を見つけて人々が夢を持って移り住み、
人種や国としての文化が根付いたまま暮らしていた頃なのかな?
気になりまくる(:3冫 ノ)ノ
当然だけれど歴史は白ばかりではない。
誰の目から見るかによって白にも黒にもなりうる。
物事を見つめるのには1視点からでは不十分で複数視点から見つめると
見える世界が変わると私は思うことが多いです。
なぜなら皆正しいことをしていてそれぞれの正義に従っているのに
それぞれにとって悪になることがあるから。
誰にとって正しく、誰にとって間違いであるのか。
改めてまた話すけれどウィキッドのオズ陛下の台詞をお借りして
「私の故郷では皆が信じたことが歴史と呼ばれている」
振りとして超ときめいたのは
バーナムさん率いるユニークな人達がサーカスを始めた時の
足元は閉じて膝は開いて、膝閉じるというやつ!!
あれめちゃくちゃ格好良い凄い好き!
ダンスはサーカスの方々が踊るのが好きな感じかも〜ミュージカルっぽいのかな?
足を振り上げる振りの時のシンクロ具合が美しいの!
普段歌詞より曲を聞いてしまうのに
バーナム少年が「On My Own」と歌うのがはっきり耳に入ってきて
やっぱりどうしてもレミゼが浮かぶからなんかなぁなんて思ったりはして。
ツアーへ出るバーナムを見送るチャリティが「〜Own」と歌うのも気になりました。
19世紀アメリカ、新大陸として移り住んできたヨーロッパの人々。
私の世界史は文明で終わってるんでヘタリアくらいざっくり知識でしかないんですけど
フランスやイギリスが来るわけでしょう?
だからなのかミュージカルのオマージュなのか、ヒュー・ジャックマンさん故なのか、分からないけれど。
OnMyOwn、パンを盗む=レ・ミゼラブル
あれリンゴをくれたのは何だろう?なんとなくカジモド(=ノートルダムの鐘)に見えてしまう。
噴水が中央広場の街はオリバーを感じる。
ザック・エフロンさんというのや扱う社会問題的にヘアスプレー思い出しはします、似てるとかは思わないけど。
リンドさんはクリスティーヌに見えるのでオペラ座の怪人みたく見えなくもない。
(そういえばリンドさんは本当にオペラの方ではないんだよね?多分)
光景的に一番好きなのは鉄道のレールの下で蒸気に包まれて踊りあう2人です。
アイルランド人設定というのは何故なのだろう?
そういえばバーテンさんの仕草がカジノのディーラーのようで、さらりと華を添えるような仕草で確かに格好良いですよね〜
レジカウンターの音然り、ポスター打ち付ける音もだけど
生活音を音楽に取り入れるルロイ・アンダーソンみある音楽が気になる!
これ一番悔しくて分からんって思うとこなんだけど、
アメリカの音楽に詳しかったらこの曲はこの音楽ジャンルだからというのが分かって
もっとどういう経緯での音楽なのか・どんな人が歌っていたのかが見えて
奥深くなるんだろうなぁと思います私分からん知りたい気になる_(:3」∠)_
リンドさんに会わせてもらえなかったサーカスの面々で歌うThis is meとか
今調べていてR&Bというジャンルを見つけたのだけど合ってるんだろうか?
このあたり黒人大衆音楽の派生に詳しかったらもっともっと楽しいだろうにと思います。
ペガサスやユニコーンを上げるあたりが
クラシックバレエの世界が好きで夢見る女の子なのかなぁと
コーラスラインのアット・ザ・バレエを思い浮かべながら。
私はあんまり憧れない世界だからより思うのかもです。
クラシックバレエはチュチュはふわふわしていて夢見心地なビジュアルですし、
欲しがっていたトゥシューズはより妖精などのように非現実感増す一要素だと思います。
そもそもクラシックバレエの重力に逆らって上へ上へと上がっていく
美しさのための踊りというのは足の指一本で全体重を支えるという
とてつもない努力と忍耐の末にあるふわっふわの夢のような非現実な現実だと思います。
でもだからこそあそこまで美しく憧れるんだと思います。
女の子はバレエ早く始めてる方が多いから
映画を見ながら比較的遅めのスタートなのでは?と思っていたけど
そのまま指摘されてしまうの辛いですよね;;
リンドさんが欧州ツアーで歌った劇場は1階席に平民、桟敷席に貴族等々という劇場で、
アメリカで歌った劇場は桟敷席があるけど欧州のようではなく
劇評家は1階席に座っていてフィリップの両親は桟敷席に座ってる、
この辺階級とかがよく分からないとこだけど劇場の形の意味合いの変化なのかな?とか。
ここに関しては完璧劇場空間が好きな私の趣味のお話だけど
アメリカでも欧州にならって劇場は作られたんかな~?
でもその劇場・桟敷席は大元の役割であった1階席にいる平民に桟敷席に座る貴族を見せつけるのを果たしているのかな?
バーナム氏はイギリスなら天井桟敷とかにいたのでは?
そのバーナム氏の家族が普通に桟敷に座っているし、
そもそもアメリカに名ばかりの見せつけたい貴族はいるのかな?とか。
バーナムさんのサーカスも舞台に円の囲いがあって
そこをコの字型に観客が取り囲む形で2階席まであるの気になる〜!
あれは額縁・プロセニアムアーチ内に閉じ込めるLIVEではないというのが
観客も共に巻き込む楽しさって感じで素敵!
リンドさんが公演を行っていた劇場みたいなとこは舞台と客席の区分がはっきりしている。
そして客席から舞台が見やすいように(桟敷席はそうでもないと思うけど)なってるはず。
サーカスは客席の方へ舞台が乗り出してきたみたいな感じというか
その空間へ居る喜びというのも味わいのうちという空間と言いますか。
最後の仮設テントへの移行もですけど“見せてもらう”から“見に行く”への移行というかね。
バーナムさんがペテン師と自身を表すのもあるけれど
サーカスの人々やサーカス自体、バーナムさんとバーナム一家の幸せからも
ウィキッドを感じるかなぁと個人的には思います。
占いや血液型による性格診断など、だれにでも該当するような曖昧で一般的な性格に関する説明を、まさに自分のことだと思いこんでしまうこと。「私は血液型がA型だから几帳面」など。
最初、チャリティとバーナムが幼い頃を見て
昔読んだ王様と御妃様の留守中におばあちゃん家庭教師が部屋で勉強してばかりの王子様に
なんだかんだと言って外で友達を作って遊ぶよう促して年相応の笑顔を引き出すって話思い出す。
幸せは例え羨むような境遇であっても一人一人求める幸せは違うんだろうなって。
屋上の上で解雇になったことを告げて「幸せにしてあげられていないよ」と言うバーナム。
そんなことないわ的なことをチャリティは言うのにバーナムは納得しない。
逆に裕福になって家を買っても以前のような家族一緒にいる時間がなくなるのに
バーナムは気づかず興行へ出かけていく。
私は最後のエンドはあんま好きではないです、
現代的エンドかもだけど納得はいかないかなぁ違和感のが大きい。
でも今のこの感想も10年もしたらきっと変わっちゃうに違いない。
世間知らずで青いのかもしれないなぁなんてのは常に思うことですが;;
そしてざっくり読んだ話ではあるんですが
映画で描かれる物語の後、
バーナムさんはまたサーカス興行に手を出すらしいですよね?
人の一生を表すには映画は短いのだと思う。
描かれていない部分、結論のためのカットがあってのお話であり
バーナムさんは物語の先も生き抜いているんですよねきっと。
舞台化されるらしいですけど
もっとひとりひとり掘り下げて見てみたいから
その場面の主役が物語を進めている時に舞台上にいる人物がどう生きているのか
気になっていく深みにハマる舞台なんだろうなと思います。
フィリップの評価されても売れないストプレ、
バーナムの人は入るが受け入れられないサーカス、
評価されなくても舞台が素晴らしく尊重されるべきとこはあると思うと同時に誰も言わないが変化が求められる舞台。
評価されつつ酷評されつつ楽しませることに特化する奇抜すぎる舞台。
流行り廃れはあるものですし、
たとえ少数でも愛している方がいるものだと思います。
好きな舞台はいつまでも見たいと思うので
繰り返し同じ舞台に新しい舞台を求めて見に行くのです。
繰り返し見に行きたい舞台に出会うってめちゃくちゃ幸運だと思う。
出会いも通える状況も稀有だもの。
舞台の映画を見ると舞台が見たくなりますよね。
そういえばこの映画は映画色強いからか
舞台ノリで拍手したくなるとかなかったなぁ〜
舞台に行きたいです!
グレイテスト・ショーマン「FromNowOn」サーカスメンバーがバーカウンター背景にして踊る場面、センターで踊っていた頭は地面と垂直なのに足を後ろに振り上げている軸のある光景が焼き付いて離れないくらい綺麗だった〜しかもその方だけでなく周囲の方も足の上がり具合、ポージング揃っているの!
— 明音 (@akane_akaruioto) 2018年3月6日
グレイテスト・ショーマン「TheGreatestShow」、呟きと言えるような静かな重みから徐々に自然に圧ある歌声へ変わっていく様がめちゃくちゃ好きなんだけど言葉・台詞と歌は繋がっているんだなと改めて感じるところです。
— 明音 (@akane_akaruioto) 2018年3月6日
「TheGreatestShow」
— 明音 (@akane_akaruioto) 2018年3月8日
バーナムさんの刻む言葉からハミングみたいな鼻の奥から響かせてるような伸ばしの音通って未だ解決されないまま圧力保って留まって熱くなっていくの好き!