珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

JCSジャポネスク-2012/11/29-

2012/11/29(木)ソワレ

自由劇場

2階B

キャストさん

ジーザス・クライスト : 神永東吾

イスカリオテのユダ : 芝 清道

マグダラのマリア : 野村玲子

カヤパ(大司教) : 金本和起 

アンナス(カヤパの義父) : 吉賀陶馬ワイス

司祭1 : 佐藤圭一

司祭2 : 清水大

司祭3 : 真田 司

シモン(使徒) : 本城裕二

ペテロ(使徒) : 玉真義雄

ピラト(ローマの総督) : 村 俊英

ヘロデ王 : 下村尊則

【男性アンサンブル】

青山裕次

中村 伝

光田健一

安東 翼

谷部央年

佐久間 仁

武智正光

白倉一成

小松貴行

山下純輝

政所和行

小田春樹

【女性アンサンブル】

佐藤夏木

観月さら

真 優香

八鳥仁美

原 彩子

光井さや

園田真名美

川畑幸香

提水流奈津子

吉田千恵

ネタバレです。

よろしいですか?

初ジャポネスク!!

相変わらず聖書について知らないので印象で書いています;;

これは違う!というようなことがあれば是非教えてください、よろしくお願いします。

Cooooooooool!!!!!!!!!!!

最初のユダ登場格好よすぎて衝撃!

白い大八車で作られた坂の向こうから足をかけ乗り越えてくるユダ

それ続いて乗り越えてくる民衆

芝さんのユダ格好よすぎて流石すぎてやっぱり絶対的。

絶対というのは当たり役だなぁというのもあるし

芝さんの演技が好きでそれを見られるならその舞台は見る価値があると勝手に信頼しているのもあります。

ジーザスの何もない感はある程度若さがあった方がいいのか...。

未熟というのが必要なのかな?人らしさ?

芝ジーザスは色々乗り越えて経験して色が染みていそうだけど

神永ジーザスは真っ白とは言いたくありませんが何かをする為に蓄えている蕾のようですね

芝ジーザスは自分から閉めた感ありますが

神永ジーザスはまだ開いてもいない。

ユダが一人だけ黒のはおり

スーパースターでは脱いでいます。

そういえばスーパースター、ユダとコーラスの人上から降りてきた!

あのユダはユダであってユダでないような気がします。

エビータのチェがチェではないように。

ユダに言わせている言ってもらっている。

弟子の一人が赤い衣装

ペテロがマリアに知らないと言わなければ...と言うようなところ、戦時中の日本が浮かびます。

ヘロデの扇子!!

落語で見るように飲むという動作を扇子で表していて何もないのに扇子だけで表す。凄い。

人力車で登場

青いアフロ

胸で赤い花咲いて背中に結んだ紐背負ってる

馬鹿にされてもいいくらいにおかしいと思う。

エルサレムの時よりカヤパの声綺麗だと思った。

ホサナの時、途中でジーザスに近寄る女性の手腕のうねりがいい。

けど誰?

柵は竹で作る

ユダの自殺のエルサレムは沈んでいったけれど

ジャポネスクは大八車の坂の向こうに消えていく

出てきた時も消えていくのも坂の向こうというあの演出も好き。

しかももがきながら消えていく見えなくなっていく

芝ユダのガタっと滑るというか踏み外すというかな落ち方が好き

見ていてはああっと不安になる

この不安にさせてくれるのがいいと思います。

マリアって母だよね?

これは違うことを教えていただきました。

母のマリアとマグダラのマリアは別人なのですね。

そういう部分で包容力?というかあっていると思う。

ということで母のようにも感じられる広い心を感じたということにしておきたいです。

愛しているという言葉も元々沢山の場所で使われて沢山の意味のある言葉だと思う。

愛しているは1つの意味だけでないと思うけれど

この場面の愛しているをより忠実に表しているんじゃないかと感じるのは野村マリアだと思いました。

いろいろ含まれている気がして。

野村さんの歌われる一つ一つが気になります

私それはすごいと思うしもう一度観たいです。

ユダがジリジリ足擦りながら進んでくるシーンがあるんだけど

大八車がジグザグに微妙に段差がつけられて置いてあって

その上をユダが進むとだんだん通る道に明かりがついていくその美しさ!クール!!

民衆がざわざわしてる曲は鳥肌が立つほどゾクゾクする

カヤパに言いに行くユダ見ているとエルサもジャポも何故か明智光秀という文字が浮かぶ謎

綺麗な金だと押し出されて掴んでしまった時の苦しみ

言い訳も苦しんでいるし

行動したくともジーザスを想っているから苦しいんだろうな

何となく金森ユダはジーザスにそれは違うだろと結構明確に思っていて訴える気がしたけど

芝ユダは違うことに気づきつつもきっと自分の訴えに対するジーザスの返しは予想の範囲内で

だから聞いてくれと苦しそうで今にも号泣してしまいそうな悩んでいる顔で心の底から叫んでいるようなのかなぁ。

鞭打たれるジーザス、押されて転がるジーザス

ああいうのは芝ジーザスは意味を含みすぎていたように感じたので

シンプルに伝えてくれるさらっとした(悪い意味でなく良い意味で)神永ジーザス位がいいのではないかと。

大八車で作られる光景がなんとも言えない

ユダが白い舞台から黒い床に降りる(1人あの光景の中浮いている)など

シンプルなセットだからこそキャラの心情がクローズアップされ

ストレートプレイのように意味をもたせている、

それがジャポネスクはエルサレムより際立っていて

とても四季らしい見せ方だと思いました。