珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

この星にさよならを-2019/09/16-

華凛 episode2『 #この星に さよならを』観てきました(*´ω`*)

 

私が持っている死への漠然とした怖さを同じように持っていても

選びたくなる結論なのかもしれない。

あまり気持ちに共感はしないけれど

依存すること自体は簡単なんじゃないかと思うことは多々あります。

こういった機会がなければ見つめないことなので貴重でした!

 

 

 

 

以下ネタバレです。

見ながら感じたこと、

この舞台は感想書けば書くほど感想を書いてる人間が見えてしまう舞台ですよね。

率直に言えば言葉にするの怖い(笑)

これでも帰りも一応カフェでしばらく総まとめの呟き考えたんです。

いや~でも言葉にならない、宙を掴むようで。

私自身はこの舞台に出てくる登場人物にあまり近くないんだと思う。

数少ない経験ですけどもうどん底かなってくらい落ち込むことあるし、あったけど

全く死に繋がるということはありませんでした。

考えたことがないので思考が近くないと感じる。

 

依存というのは身近にあるなと思います。

私なんか観劇が好きだなと思う気持ちは簡単に依存に変えられると思う。

変えようと思えば身の丈をこえて観たいとか、応援したいとか

好きだという思いを変換出来てしまうんじゃないかと思います。

落ち込んだり、悲しかったり、理不尽だったりはいくらだってあるけど

それを好きなことで補おうとすると虚しくなる。

実際何回か落ち込んだ時に自分を慰める目的でチケット買ったんです。

舞台は最高でした素晴らしかった!

でも観劇後の気持ちが最悪です。

罪悪感でいっぱいになります。

だから気持ちを変えるという理由で観劇しないよう心がけてるつもりです。

観劇したら間違いなく楽しいと分かって行って間違いなく楽しい、だから嫌なんですよね。

私の考えですが舞台にどうしてもらおうじゃなくて

自分で最大限自身を整えてから舞台に対する方が気持ちがいいです。

折角観劇するならその日のために時間も作るし、

集中出来るようなるべく気になることがないように全てを終わらせるし、

出来る限り自分で気持ちも整えて劇場へ向かいたい。

万全にはなかなか出来ないけど見に行く舞台に敬意を払う、

というか真剣に向き合いたいなっていつも思ってる。

でもこれは私のこだわりなので私以外には当てはめるものでないと思うし、

当てはめてほしくないです。

そういう線引きは自分で考えることだと思います。

 

 

人と人は支え合って生きていると思います。

何をもって大人かと考えた時の答えの一つに

「自分で一人で生きていける」があると思っています。

私が身近に恐れているのは誰かと一緒に暮らしていたとしても

誰かの負担を当たり前のように生活してしまう依存です。

当たり前すぎて気づけなくて失って初めて生きていけないことに気づくの。

こういう話、結構ゴロゴロしてるから怖いなって思うし

感謝と共に気づけた分はせめて当事者意識持とうと思い直します。

 

普段舞台選ぶ時、きっかけがあって気になる→次にあらすじを読むという過程を踏みます。
その時に人が不幸になるものは大体は見るのをやめます。

(ハッピーエンドじゃないという基準ではないんだけども)

今回は私が苦手なお話だというのはとても分かっていたので身構えていたんですが

予想していたより優しいお話だった。

 

一度ドラマのウシジマくんをきっかけがあって見たことがあるんだけど

それ以降ウシジマくんで見た役者さんは別のドラマを見ても

借金するんじゃないかとバッドエンドに怯えるようになりました。

ドラマ内で象徴的だった小道具に似たものをお店で見ると切ない気持ちになります。

影響は受けているけど私は良い影響だとは到底思えない。

 

出会っていないかと言われれば知ってるけど関わりと呼べるほどかと言われたら希薄。

だから体感している程度がそんなでもないなと見ていて思いました。

それは自分自身の性格もあると思うけれど多くは環境によるものだと思います。

私だって落ち込むんですが舞台のように落ち込んだことないんですよね。

この舞台みたいなこと、一度は通る道ではないよね?

それは流石に辛すぎる。 

 

 

掲示板は電車男もしくは観劇という狭い空間に集う趣味ということもあって

身バレから果てしなく晒される場所という悪い印象しかないんですが

教会(懺悔室)、神社仏閣のような役割もあるのかな?

 

見知ったネット空間でいえば

まだmixiで繋がりTwitterでもよろしくお願いします〜とか言ってた頃は

ある程度今日の舞台のような呟き見かけたなぁと思い出しました。

TLは自分で作っていくものだし、

その当時呟いてた人が今も呟いてることが稀だから状況が違うけれども。

 

兄弟見て思ったのは自分がされるより自分が大切な人を蔑ろにされる方が怒りの純度高い気がします。
とはいえ憎しみの為に生きるのは虚しい。
NARUTO歌舞伎見てる途中なんだけどカカシ先生がサスケに似たようなこと伝えてた気がする。

 

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整形はコーラスライン「ダンス10ルックス3」のように

ダンスが10点でもルックスが3点だとオーディションで落とされてしまう、だから整形したの!

みんな見てる、みんな待ってる、あたしのこと“これさえあれば世界は薔薇色よ”のイメージがあって、

ふとした時に自分ではないと感じ後悔するというのは想像が及ばなかったです!

そういうこともあるだろうなと今日初めて思いました!

 

ACLのディアナが演劇学校でアイスクリームになるというような理解できない課題を

一人上手く出来ず努力したのに先生からも才能がないと言われ学校をやめた。

半年後、先生が亡くなり心の奥深く見つめ泣いた「感じなかったから、なにも」

状況は分かるけれど何度見ても感情が想像出来たと思えない部分です。

家庭教師だと勘違いされたおばさんが勉強ばかりで不健康そうな王子に

太陽を浴びて友達と泥だらけになって遊ぶことを教えるという絵本を

ムーンさんは思い出させます。

 

エクウスで舞台上に作られた傍聴席に座って観劇をしたことがあるんですが、

溜め込んでいたものを吐露していくような舞台だったから

その時の感覚を思い出しました。

 

 依存症=特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態 

依存症についてもっと知りたい方へ |厚生労働省

達也がお酒やめるよというけれど、

あれやめられないんだろうなと思うとかなり暗いさよならだと思いました。

負の輪廻から抜け出せない二人なんだなぁと思って。

 

劇場向かう時、こんな話なのでは?と思って聞いていたのが

ジーザス・クライスト=スーパースター

「私はイエスがわからない(I don't konw how to love him )」。

 終演後、こっちだったなと思ったのが

エビータ「スーツケースを抱いて(Another Suitcase in Another Hall)」。

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私は途中見ていて草間さんに対して滅せよくらいには思っているので

「引く」で終わらせるのとても優しい。

それと私には草間さんが救いには見えなくて

前後不覚になるほど飲んでしまう人に差し伸ばされた手を取って

望む未来はあるんだろうか。

おそらくないですよね。

 

お酒で本性出ることに関して考えてるんだけど

自分の許容量が分からないのが好きでないし

(最初からは分からないと思うけど学ばないのも含めて)、

親しき仲にも礼儀ありを越えて無礼なのは理解出来ないし、

お酒を利用して企みを持って近づいてくるのも好きじゃないです。

飲みでも、普段でも本人に伝えることはないけれど

信頼出来ないことはずっと忘れない。

お酒自体はおいしいし楽しいから楽しく飲みたいよね~

 

まだ結論出る話じゃないんですが

例え病だとしても言葉でも暴力でも何でも

他人を傷つけていい理由にはならないなと思います。

 

時々ネット上で知り合ったばかりなのにいきなり深い話をされるということがある。

あれはネット上なら話せるということがあるんだろか?

総じて言わないでくださいねと言われるから

なら言わなければいいのになと思いもするんだけど。

 

中島敦「山月記」のあらすじと解説!李徴が虎になったのはなぜ? | まなぶンゴー

山月記で思い出したけれど空気感でいえばスリル・ミーに近いものがあったかもしれない。

 

急に江戸川乱歩「芋虫」を思い出したけど繋がるかな?

(私はあんまり芋虫好きじゃないです)

 

 つい最近映画のあらすじでイマジナリーフレンドのいる少年が出てきたのを劇場で思い出しました。

パッと見た時にはビリーミリガンのように見えたんだけど

拓馬は拓馬として存在しているからイマジナリーフレンドが近いのかな?

 

劇中で有名人の言葉でも〜みたいなニュアンスのこと話されてたけれど

自分にとって信頼出来たり、尊敬していたり、好きだったりする方に影響されて

自分だけでは到底乗り越えられないことも乗り越えてしまったということはあると思う。

 

悩んでいることに対して出来る出来るとすぐ言ってくる方いますけど

私はこの何の根拠もなさそうな励まし好きです!

不安が残るならまずそう言わないのだろうから頑張ってみようと思えて

大体今までの自分を超えることが多い気がします。

それに本当に出来ないことそう考える間もなく出来ないと分かる。

出来ないと分かってるものをするのは意味がないですが。

 

とてもお世話になった先生が(理由は伏せますが)学校へ来られなくなったことがあります。

先生を笑う人たちがいたけれど一時の感情・敵意で

こんなにもあっけなく一人の人間の一端をなくすことが出来るのかと虚しくなりました。

ああいう出来事は起こってはならないし、そうならないようにしたいと今も思います。

 

良い人なんだけどね、と言わなければならない人は良い人じゃない、

と何かで読んだし私もそう思う。

関係が悪くならないようにしなければならないほど

密な間柄と分かっていての思考なのかな?

ただただ良い人だなぁと思う人に良い人なんだけどね、は言わない。

 

 

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アスペクツ・オブ・ラブだと「ポーの農園」をよく聞きます。

「死神の声が空にこだまする
 命ある限り生きよと

 酒とダンスで開けカーニバル
 楽しもう人生を
 いずれ終わりが来るというのに
 なぜ急ぐの明日へ」

これお葬式の曲だけど曲に明るさもあって聞いてて表層楽しい。

 

youtu.be

ユタと不思議な仲間たちの主人公ユタは田舎の子にいじめられるのが苦しくて

「川のそばまで行ったんだ…」と出会った座敷わらし達に打ち明けると

「ばかやろう!」と言われ『生きているってすばらしい』と話される。

飢饉や凶作で亡くなった子供である座敷わらし達だからこそ胸に響く。

作品的にこの星にさよならをのファミミュはユタっぽいのかもしれない。

 

youtu.be

夢から醒めた夢では霊界空港で自殺をしたメソはパスポートの色がグレー。

白じゃないから光の国へ行けず…というのも今浮かびました。

アンパンマンの歌とかそういうのも。

 http://j-lyric.net/artist/a000bf7/l01fac4.html

この星に〜見てからゆるゆると考えてる。

お葬式が好きだった葡萄園でお酒とダンスと共に、

と聞くと亡き後も楽しみまくってていいような気になるけど本当にいいのか分からない。

「何のための幸せ 何をして喜ぶ 分からないまま終わる そんなのは嫌だ」嫌かと言われれば分からない。

 

正直ほとんどのこと分からないなと思うけど、

こうかもしれないなと思える答えが一つ見つかったら

それが例え後々誤りだったと思ったとしても貴重なものだなと思う。