珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

ドリームガールズ-2023/02/23-

2023/02/23(木)マチネ

梅田芸術劇場

1階上手

脚本・作詞 トム・アイン
音楽 ヘンリー・クリーガー
オリジナルブロードウェイ版演出・振付 マイケル・ベネット
演出 眞鍋卓嗣
翻訳 徐賀世子
訳詞 福田響志
音楽監督 鎮守めぐみ
美術 松井るみ
照明 齋藤茂男
音響 佐藤日出夫
衣裳 有村淳(宝塚歌劇団
ヘアメイク 岡田智江(スタジオAD)
映像 新保瑛加
振付 TETSUHARU
ピアノコンダクター/稽古ピアノ 太田裕子
歌唱指導 柳本奈都子 板垣辰治
稽古ピアノ 森本夏生 浅野直子
オーケストラコーディネート 新音楽協会
演出助手 伊達紀行
舞台監督 二瓶剛雄 廣瀬次郎
宣伝美術 榎本太郎
宣伝写真 Leslie Kee (SIGNO)
宣伝衣裳 DAN (kelemmi)
宣伝ヘアメイク 岡田智江(スタジオAD)CHIFUMI KIYO IGARASHI(SIGNO)


ディーナ・ジョーンズ 望海風斗
エフィ・メロディ・ホワイト 福原みほ
ローレル・ロビンソン sara
カーティス・テイラー・ジュニア spi
C.C.ホワイト 内海啓貴
ミシェル・モリス なかねかな
ジェームズ・“サンダー”・アーリー 岡田浩暉
マーティ・マディソン 駒田 一

高橋卓士 遠山裕介 森山大輔
石井千賀 ICHI 伊藤広祥 岡本華奈
Sarry 仙名立宗 高橋祥太 茶谷健太
菜々香 西岡寛修 原田真絢 丸山泰右 吉井乃歌
SWING CAST 高橋莉瑚 田川景一


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ブロードウェイ・ミュージカル『ドリームガールズ』 | 梅田芸術劇場 (umegei.com)

 

まずは恙無く公演が行われておめでとうございますとありがとうございますでいっぱい🙏

梅田芸術劇場

梅田芸術劇場、初めてでした!

グッズ販売はいつもチケットもぎりより前の空間でされてるんだろうか?機能的ですよね!椅子もふかふかで劇場で過ごす特別感も感じられる素敵な劇場ですね🤭

東京2度とも2階だったから大阪で初めて1階に座って円形ステージ・盆の床が黒なのも見えない角度からだと印象が変わるなと思いました。2階からの円形ステージの印象へ戻ってしまうけどボレロみたく映えて惹かれるから春の祭典じゃないですが生贄の感覚ある。

黒人女性歌手のドリームガールズ

ファミリーのみんなで感じている黒人差別に加え男性には当然用意されている権利が女性にはなかったりする。ドリームガールズの名の通り夢を掴もうと進んでいくのが女性なのが気持ち良くてお別れが爽快✨

一幕ドリームガールズの場面、輝かしくて全て呑み込んで夢を生きていて😢観客側から見るとひたすら優しいのだけどその前の出来事を経ていてなお我々を包み込んでいることに泣ける。

ただより高い物はない

目に見えるのは女性は華だからといったさも当たり前のような差別があるってこと(劇中のジミーのコーラスガールって女性は添え物ってことだよね?マーティは映画ほどあからさまに示さず女王様はしないんだろ?と言うけど理由は言葉通りじゃなさそう。ディーナとローレルは差別に対して意思はないけどエフィは歌手としてだけでなく自分自身が軽んじられてると分かっていて反対してると思う)。搾取の対象は女性だけの話ではないとジミーを見ていても思うところです。この部分に関しては消費されるのを良しとしていいのか、いや駄目だろうってお話だと私は受け取ってます。

私は生きていく中で理不尽さに出会うからエビータ(美しさを搾取した男たちを踏み台にステップアップして大統領夫人まで行き着いた女性のお話)が好き=女性が突き進む爽快ストーリーが好きです。私がspiさんファンゆえにカーティスに注目した感想を探していますし、望海さんファンは男役目線になりやすいのかもしれませんが女性比率高いはずの観劇趣味のわりには女性進出が気持ちいいって感想あんま見ないのなぜなのだろう?不思議ですが私なんか単純だから謎のやる気に満ちちゃう(笑)

フィナーレのカタルシス

一番最後のドリームガールズは不条理な日常と舞台の物語に対する理不尽なやるせなさを浄化するカタルシスだと思ってます。

純化〉〈浄化〉〈排泄〉などを意味するギリシア語。アリストテレスが悲劇の機能を論じて,〈観客に感情のカタルシスをもたらすこと〉(《詩学》)として以来,演劇さらには芸術一般の,観・聴者に感情の激発とその後の心の軽快感,高揚感を生ぜしめる効果を指して用いられる。精神療法においても,抑圧されていた感情や思考を劇的に表出させる作用や技法をいう。

カタルシス(かたるしす)とは? 意味や使い方 - コトバンク

カタルシスという言葉は、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味します。もともとは、アリストテレスが『詩学』に書き残した悲劇論から、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」をさす演劇学用語です。転じて、精神医療においては「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積(うっせき)した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」をさします。さらに、一般化して、「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」をいいます。

第36回 カタルシス | 10分でわかるカタカナ語(三省堂編修所) | 三省堂 ことばのコラム

「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」だとカーティスが望んだ夢が終わった悲劇みたい。重ねるならパックスアメリカーナ*1の終焉。

「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」だとディーナやドリームガールズがいざ夢を抱いて歩もうとしていたところをカーティスそしてアメリカンドリームに阻まれる。けれどもアメリカは夢(アメリカンドリーム)から醒めてドリームガールズを支持する。各々が抱く新たな夢を目指していく、みたく見える。

パックス・アメリカーナからの目覚め

既に少し触れたけれどアメリカ事情は関わっていたとしても今回の演出で重きを置いてるところじゃないんだとは思います。もっと普遍的な物語を抽出して見ている感覚がありましたと前置いて。

ウォーターワールドの例

「そうだ!ドライランドだ!

 我々は道路を敷き車を走らせる。

 上質な土地を整備し優雅に歩き回る。

 そして(ゴルフの)18番ホールには俺様の記念碑を建設するのだ!」

陸地が水没した世界で僅な資源を使い尽くしながら夢を語って民を扇動するディーコンの言葉。パッと聞いてあるかも分からない土地を整備するだなんて現実味のない演説だとよく分かります。

"黒人歌手を全米ヒットチャートに"はファミリーが成し遂げたい現実にしたい夢でもカーティスの"ディーナをスターに"はディーナはじめ周囲の人々の気持ちを気にせず推し進めていく方法も含めて現実味のない夢だったということなのかな。普通は成功せず終わるんでしょうけど波にのってしまったから蛇みたいって言われちゃうんだろね。単純に自分自身の利益だけを考えているわけではなく(白人中心社会が抱く)アメリカンドリームに奉仕しているのが切ない。

フォード自身は、「フォーディズム」(イタリアの思想家、アントニオ・グラムシによる命名)と呼ばれる経営感を持っていて、

「大衆へのサービス精神」
「利潤動機より賃金動機」

を重視し、企業とは公(おおやけ)の存在で、公僕として広く社会や顧客に奉仕すべきであって、「利潤」は企業目的ではなく、「結果」であると考えました。経営者としては、「より多くの賃金を従業員に払う」ということを経営の動機とすべきとの意見でした。

「奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える」

離職者対策の意味もありましたが、フォードは、従業員の賃上げに尽力し、1914年からは日給をそれまでの2倍の5ドルに引き上げました。夫婦そろってフォードに勤務すれば、世帯年収が2000ドルを超える水準です。さらに、殺到する注文をさばくために、工場は24時間3交代制でしたが、労働時間は9時間から8時間に短縮されました。その結果、全米から就職希望者が集まり、その従業員たちがまた、T型フォード車の顧客となるという巨大な経済循環が生まれました。

経営戦略概史(3)大衆社会を生み出した「フォード生産システム」 | 経営コンサルタントによる経営戦略と経営管理に効く経営管理会計 (keieikanrikaikei.com)

RENTやtick, tick... BOOM!も消費社会に一石投じてるのにちょっと前のお話と思うのだからディーコンやカーティスはかなり前の考え方なんでしょうね。

1を100にする才能はあれど「変えるんだ!」と言葉にするカーティスが一番変わっておらずカーティスが変えたい社会そのものみたいなの皮肉だなって感じる。カーティスが夢見た"0から1"を生み出す夢の一歩はディーナによって始まるんだね。

科学的管理法をヒトに当てはめる

私この分野は全く詳しくないから付け焼刃にもならないくらいで以下書きます。

フォーディズム(ふぉーでぃずむ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

アメリカの実業家ヘンリー・フォードの経営理念。その考え方は彼の著書『My life and work』(私の生涯と仕事)のなかで、次のように説かれている。〔1〕将来の失敗に対する恐怖や過去にとらわれないこと、〔2〕競争に意を用いないこと、〔3〕奉仕を利潤に先行させること、〔4〕製造するということは、安く買って高く売ることではない。材料を適正価格で買い入れ、できるだけ少ない費用で製品化して、需要者に売ることが製造の過程である。

フォーディズムを実践するための方式をフォードシステムとよぶ。すなわち、「低価格・高賃金」を実現するために、〔1〕生産の標準化、〔2〕流れ作業方式(コンベヤー・システム)の採用などによって、生産管理の合理化を図る。一般には、コンベヤーによる流れ作業方式をフォードシステムの代表的なものとしている。

フォードシステム(ふぉーどしすてむ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

メイヨーも、当初は、産業心理学的研究の一環としてホーソン調査を始め、物理的条件の改善による生産性の上昇を確認しようとしていましたが、調査の結果、物理的条件よりも被験者の間に芽生えた友好関係、実験に選ばれた意識や誇り、などの集団的・心理的要因のほうがより強い影響を持つことを発見しました。また、労働者の態度や行動は、感情(sentiment)から切り離して理解することが困難であり、感情の背後に、その人の過去の経歴やインフォーマルな集団の特徴が強力に作用していることを見出しました。

「人間関係論」とは何か? (takahiro-oosaki.com)

【人間関係論とは】ホーソン実験の内容から批判までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)

T型のヒットによりフォードは全世界のトップメーカーに名乗りを上げることになりました。フォード社の創設者であり、T型の生みの親でもあるヘンリー・フォードは、”より安価により多くの人々にクルマを供給する”、つまりはT型フォードの販売台数を伸ばすことであると考え、ムダな装備を省き、塗色も黒のみとするなどコストダウンを最優先しました。

 やがてある程度、クルマが市場に行き渡る頃になると他人と同じでは満足できない消費者心理が芽生えてきます。そこを突いたのがシボレーであり、フォードは敗れて王座を明け渡すことになってゆくのです。

似て非なるアメリカの自動車ブランド、フォードとキャデラックの原点は兄弟車だった | AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ) ~カスタム・アウトドア・福祉車両・モータースポーツなどのカーライフ情報が満載~

「T型フォードを買う人はどの色でも選べる。黒である限り」

T型フォード車は、ボディ形態のバリエーションは非常に多かったものの、どれも実用を第一としたエナメルの黒塗り一色であり、後期にはデザイン面での魅力を欠くようになっていました。エナメルは速乾性があり、単色であることは大量生産を実現するのに好都合です。しかし、顧客の嗜好が徐々に変わっていき、自動車にデザイン性を求めるようになりました。

ライバル企業だったGMのアルフレッド・スローンは、大衆がより上級の商品、より新味のある商品に惹かれることを理解しており、シボレーやキャデラックが新しいデザインや多彩なカラーを導入(化学メーカーのデュポンの資本が入っており、新しいラッカー系塗料を用いることができた)し、多様化する顧客のニーズに対応することに成功しました。

経営戦略概史(3)大衆社会を生み出した「フォード生産システム」 | 経営コンサルタントによる経営戦略と経営管理に効く経営管理会計 (keieikanrikaikei.com)

調べてるうちに知ったのだけどもしかしてカーティス・テイラー・ジュニアのテイラーって労働者を科学的に管理して労働効率や生産性を上げる方法=科学的管理法のフレデリック・テイラーからきてるんだろうか?

テイラーの科学的管理法を応用してヘンリー・フォードがT型フォードの大量生産に成功。富裕層だけでなく庶民にも車が普及した。けれどもその大量生産システムは単純作業ゆえ離職率も高く、ある程度行き渡ったところで民衆が欲しがったのはデザイン性の高いキャデラックだった。

カーティスもソウルを抜いて流行に合わせたポップス寄りに音楽を作って黒人歌手を全米マーケットへ広げた。ただ黒人音楽の要であるソウルをなくしていった過程でエフィ、ジミー、CCが離れていった。いざ同じ曲「ワンナイト・オンリー」で競ってみれば民衆が求めたのは飽和したポップスより独自性の高いエフィが歌うワンナイト・オンリーだった。

Cadillac Car自体が既に結末の暗喩だったんですかね?そうだったらこれまでキャデラックカーは皆が一度共有した夢のように思えていたから聞いて切なくなっちゃうな。

カーティス

spiさんファンで良かった話

公演の感想ではないんですがああこの人のファンで良かったなと思う瞬間、往々にしてあるけどこないだのドリームガールズでカーティス見ながらspiさんのファンで良かったな~とふわりと心に浮かんだのを劇中台詞「こういうのはタイミングだ」の通り完璧に逃したおかげで観劇後一週間ずっと悩んでいました🙈笑

東京初日は最初から最後まで仮面で覆い隠した印象、それから数日後は心情が見え隠れしてあたたかさを持っている印象、大阪はエフィへも愛情深く、夢を語る無邪気さ、罪が迫り来る恐怖も感じて人間らしい印象。これは変化じゃなくてどれもカーティスの一面なんだろうと考えたいです。

東京では気づけなかったカーティスの一面を見られたことで見え方が変わりました。そういう演技の深みに触れて頭の片隅で来て良かったなぁ観られて嬉しいなぁと思います。初日「俺が壊した」とファンミの独白のお声の響きの心地よさとかも体感してなんてラッキーなんだろうなぁと幸せ享受する。ちょくちょくバルジャン、ジャベールで見たいとお声見かけるからその度に私もそう思う~といいねしちゃう!私が思ってることを私でない方が思ってるというのが最高に盛り上がります多謝!

カーティスが"俺たち"の夢をわくわく語って聞いてもらってるつもりだったところ、マーティに冷たく突き放されて傷つき沈みながらも"あの子たちには別の計画がある"と切り替えていくの人間らしい心だなと思ったのを思い出した。傷つかないわけないんだよね人間なのだから。

そんな作品数見てるわけじゃないけど印象として短い公演期間での差異がわりとある方に思えます。それはアドリブ的なバリエーション豊富さだけじゃなく舞台全体のバランスを俯瞰して要点はどの公演も等しく変わらず一公演毎の生き方に嘘はない感じがとても好きです。

身体は雄弁に物語る

・開口とはまた違いそうだけどはっきりと意識されて発されていそうな感じあるなあと思う。お声に響きがあって少し広がるからかな?詳しいこと全然分かりませんが。

・個人的にはspiさんの感情を抑ようとするような手が特徴的でいつも素敵だな~~と思います。グッと手で押し付けるような仕草。冷静であろうと努めるようなね、実際冷静じゃないんだなって分かる感じで熱くていい!

・意識が向いてるからかもだけどわりと手や足、身体が今、物語を追う上で注目すべきところへ向いているからものすごく分かりやすく導いてくださる俳優さんだなといつも思います。初めて触れた方にとって優しい印象ある。有り難い。意識だけでなくて仕草にも分かりやすさはある気がしてて個人的にはステッピンの賽を投げる仕草めちゃくちゃ分かりやすいと思う。あれはほぼ言語に近い感覚。

・手を伸ばした時、この人ならこの辺りに行き着くんだろうとなんとなく見当がつくと思う。ただそれは手を伸ばしたらそこに行き着く場所なんであってそこから1㎜先もしくは1㎝先へ届くと美しさに充たされて幸せな気持ちになると思う。美しさに届くと分かってて行き着かず届かせないもどかしさ歯痒さ。歌いつつだから注力のバランスもあるのだろうけどステッピンわざとなのだろうか?そうなら能ある鷹は爪を隠す体現ですよね。計り知れない大きさをカーティスに感じる。

・カーティスがする肩を少し回して胸を張る仕草、spiさんがされるから存在が大きく見えるのを私は実際に見ても知ってる。物語始まってすぐ自信と勢いに溢れた頃の仕草は頼もしいのにお話が進むにつれて同じ仕草を見ても虚勢を張ってると分かるからものすごく小さな男に感じて悲しくなってくる。心の余裕のなさ、土台のグラつきを感じるからかも。もしかしたらカーティス自身が迷い始めてしまったのかもしれない。

とはいえ肩入れできない

ここまで嫌いと思うのも珍しいし、普段嫌いな人のことわざわざ考えることないから書き残してみたいと思います。

誰を大切にするか

三度見てだんだんと印象が和らいだとはいえカーティスは最初から好きだとか格好いいとか感情を抱く対象にそもそもなりません。第一印象でそこまで分かるものか己を疑いつつですがカーティスにもし出会ったとしたらカーティスは私を大切にしないだろうという印象を受ける。あとこの人と話しても私の話を受け止めてもらえることはないだろう、平行線のまま分かりあえないだろうとも感じる。そう分かるから自分が理解してもらおうと労力を注ぐ前、まだ深く知らないうちに逃げたくなるのかもしれない。

合理的効率的

合理的効率的に物事を考えるのはいざという時に守れる手段になるから大切だし必要な考え方だと思います。ですが突き詰めたらいけない考え方だとも個人的には考えているのでここは譲れない。周りの人にも求めすぎてはいけないし、自分自身にも求めすぎるべきじゃないと私は考えます。個人的な経験則だけどカーティスと似たこと話す人は遅かれ早かれ心を自傷してしまう気がする。自分自身を支えてきた考え方(=アイデンティティ)だから簡単に抜け出せるものではないんだろうね。そしてここに一番同情しちゃうんだけど自傷してしまう人と知っていたとしても周囲を傷つけ回れば誰でも自分を犠牲には出来ないから側にいてあげられる人はなかなかいないんじゃないかってことだよね。誰も残らないように自らしてしまうのがやるせない。

感想

ひええええええ名刺…なんてこと🙈こういう!グッズが!私は欲しいぃぃぃぃ!!

・冒頭Move「出ていきなさい あなたはいらない」だけでなく男性五人グループがいつまでも二人で~のようなことを歌ってると呟き拝見して。登場人物が主だって歌った曲の歌詞が実際に起こることになるのか!これがスパイラルか!って今さら腑に落ちた(笑)他の登場人物にしてもジミーの「助けてジーザス!」など予定調和というわけではなく思い返したら示唆してるような感じ。作りが凄い!

・ローレルの歌「うらみつらみ」という言葉が心地よく聞こえてしまうことを覚えておこうと思った。発したまま心地よさに呑み込まれていい言葉じゃない。固執しても好転しないどころか救われない果てない感情だとカーティス見ても思う。恨んで例え目標が果たされた先に残るものってたぶん空虚なんじゃないかな。

・グループの顔になるということは良い反応も悪い反応も全て受け止めてそこに立っているんだと思うから簡単に出来ることじゃないと感じます。一時でも全てを背負ったディーナの重責はいかばかりか。望海さんがディーナというキャスティングは元宝塚トップの事実と物語がリアルに重なるからなんだろうと。

・なんとなく福原さんはきっととても優しい方なのではないか?と感じていて、エフィがきっぱりと意思を示しているのにディーナにお願いされる場面、CCからお願いされる場面でその優しさが役とハマって説得力が増してるような気がしてます🤗エフィはコーラスガールを初めからきっぱり断るくらい歌への自負がある。そして皆を率いる意識があるからお願いされたときに自分の判断で周りの皆の行動が決定されるのもよく分かってる。だからこそ呑み込んでしまう優しさがあるの好きだなぁ!

・カーティスがエフィへする別れのキス、そっとではあったんだけどわりとむりやり手の甲に口付けてて一方的な別れ・線引きをしたように見えるからなんとも光景が苦しい💦

ドリームガールズの話(カーティスが思い描く夢とディーナがしたい夢が違い次第に離れていく)をしたら「やっぱコーラスラインみたいなんだね(ザックが君はスターになったのにコーラスになりたいのか?とキャシーへ問う→The Music and the Mirror)」と話して。

・責任者、管理者は俺についてこい!と最初から全てを背負うんじゃなくてここぞという局面で背負うくらいでいいよね。立場的にどうしたって嫌われやすい役割だしカーティスはジミーみたく人から好かれる社長のそばで副社長だったら丁度よかったのだろうか?

・オペラグラス使わずに見ているから初めて表情を見たのだけど最初は相手にしていなかったジミーへカーティスの一言が届く瞬間またはマーティと考え方が離れていく瞬間の表情が印象的。

・ジミーの表情が見えたからこそジミーがカーティスの誘いに乗る訝しさ、焦り、嫉妬が色濃く感じられてジミーは俺のだ!という自負とキャデラックカーで全て納得しているわけではなくとも呑み込んで止めないマーティ。

・踊ったとき、身体のラインは見えた方が綺麗だから見えると嬉しい!ただふわりと揺れ動く緩やかな服装は動きの余韻・流動する空気が見えるようで美しさに拍車をかける。いいとこ取りしてる衣装だなぁと思うのが"Heavy"女性ダンサーの衣装。

・目の前に何もなくてもそこがステージの上ならばちょっとした演出・象徴で"ある"ことになる。実際には"ない"人格や感情までもが確実に"ある"。舞台はないものがあるから好きです。

・詳しく分からないのだけどGloria Gaynorさん「I Will Survive」をDiana Rossさんがカバーしていて元々盛り上がるようになってるにしてもよりノリやすくなっている気はする。こういうのがPOPSにってやつ?より踊りやすくなのかな?

Gloria Gaynor - I Will Survive - YouTube

I Will Survive - YouTube

・大阪から帰ってきたらミシェルが「私は関係ないから」という気持ち分かる状況にリアルでなりまして。ミシェルどう見ても当事者だけど逃げたくもなる話題ですよね。

スター主義と作品主義

日本版ドリームガールズはスター主義でのドリームガールズという感覚が強いです。ドリームガールズという作品のディーナは特にスターである必要があるんだろうか?たぶんスターでなくても出来るんじゃないか?と思うんですがどうなのだろう。映画も日本版もはっきりスターがキャスティングされてるからこその演出に思えます。

ミーハーじゃないからかもですが2幕始めの場面はステージを見ているのに何を見ればいいのか分からなくなる。あと個人的にはダンサーさんたちトロッコ移動に注力して踊らなくなってしまうのが寂しい。

日本版ドリームガールズがスター主義なのはディーナを主役としているからであってキャスティングの面白さに関しては作品主義ともいえるのかもしれません。あと実験的にも感じます。こういうのは一長一短だなと常日頃から感じる部分です。