珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

ジーザス・クライスト=スーパースター-2015/06/04-

2015/06/04(木)マチネ
自由劇場

2階センター

キャストさん
ジーザス・クライスト神永東吾
イスカリオテのユダ芝 清道
マグダラのマリア観月さら
カヤパ(大司教)高井 治
アンナス(カヤパの義父)吉賀陶馬ワイス
司祭1佐藤圭一
司祭2清水大
司祭3真田 司
シモン(使徒)佐久間 仁
ペテロ(使徒)飯田達郎
ピラト(ローマの総督)青井緑平
ヘロデ王北澤裕輔

【男性アンサンブル】
脇坂真人
久保亮輔
渡久山 慶
小野功司
ツェザリモゼレフスキー
玉木隆寛
戸高圭介
山下純輝
阿部よしつぐ
中村 伝
塩山 力
中田雄太

【女性アンサンブル】
山本詠美子
岸田実保
吉良淑乃
市川友貴
吉田千恵
園田真名美
松尾千歳
奥平光紀
井上希美
柴田厚子
服部ゆう
黒柳安奈








ネタバレです。



よろしいですか?






















































曲かかってじわじわと寒くなるくらい空気に飲まれるのがやはり舞台だと思いました^^*
JCSは特に観劇は繰り返し見てこそ気づきが多くなってハマっていくものだなと感じさせてくれる演目に思えます。


最初の曲中、民衆が出てきて。
センター、脇坂さんの揺れ方がとても素敵!
何ってことないんだけどとても自然!
1回立ち位置移動したあたりで上手前から2列目の石の上あたり立ってる人揺れ方上手い~!と思いました。
あと下手2列目上のツェザリさんも、センター下手寄りあたりにいる多分真田さんだと思うんだけど上手いなぁって!
何が上手いのかっていうと上半身の揺れ方です。
よしつぐさんは右足曲げ伸ばしスローリーな印象。


結構今回のJCSは私初めて見るけれど前々から見たかった方々が多くキャスティングされていたので楽しみでした!

たカヤパの叫び声?怒りが全然冷静じゃなくてすっごい良かったです!
金本カヤパは冷静に追い詰めていくようだけど、
たカヤパは冷静なように辛うじて見えるよう体裁繕ってるけど
周りから見れば怒ってるオーラだだ漏れしてるから
うわああ怒ってるわ~近付かないでおこう…と距離をとりたくなる感じですよね。
俺は不満だぞって分かりやすい。

青井ピラトは歌がとっても聴きやすい!
歌がというより言葉がかな^^?
村さんは響きがすごいですからね~
アリーナver見てから思うけれどピラトシーンもっと丁寧にしてもいいのに~。
ただ立って歌うだけじゃ勿体ない葛藤具合ですよね。
ピラトの夢、手だけのジェスチャーだけでもあった方がいいような気もする。

北澤ヘロデ、北村一樹さんみたいですね(笑)
テルマエロマエ2のジェイオニウス感ですw
世間知らず感、我儘してる感が伝わって下村ヘロデとは違うヘロデ像が見られました。
だからこそもっと北澤ヘロデが見たいです。
大切に育てられてて、かつ美しくて
周りが甘やかしてくれるのを当たり前として過ごしてきたようなヘロデかなって。
結構冷静に物事見ていて頭も悪くなくて恐い人って感じの印象。
底知れぬものを秘めているのに発揮せず温もりにとどまっているような。

ワイスさんのアンナスの歌声が綺麗だなって思いました!
そう!なにか凄く綺麗で驚きました!!
高音へいくのがスラリで良い塩梅のアクセントですよね~ハマる。

神はどうしてもジャポネスクで初めて見た時と言うのを思い出します。
前回書いたかな~?と思ったんだけど詳しく書いてなかったので
前回と同じく思ったことを。
「看て下さい」と民衆に囲まれる神が「押さないで~」といった後、
「あ~、あ~」と歌うところ、
初見時の印象は裏声で高いところを歌ってらっしゃって
「押さないで」と「あ~」に差があって心が泣いているようだった印象がありました。
けど今回は差がなく自然に高いところへ行かれるので
ある程度の強さで自分の弱い部分と言うのをカバー出来てしまう器用さを持ってしまっているように映りました。
器用さを持ってしまっているように映りました。と書くと弱いのかって思えるけど大分強い。
なんで文字にしていると思ってもいなかったような感想になっていくんでしょうね?
それなのに感じたこととしては間違ってないから不思議(笑)
「死にざまーーーーーーー」のロングトーン長くて、本当に長くて
拍手したい方がいる気持ちも凄く分かる熱い思いでした。

やはりこう公演期間中一回しか観ないくらいの感覚で見ている作品は
その観劇日までにあった事柄の蓄積に大きく感想が影響されます。
ジーザス、ユダ、マリアについては考えてきたけれど
今回はストンと心に落ち着く自分の中の答えがあります。
ユダが言う「高い香油無駄にするのか」はジーザスもきっと同じように考えているはずです。
そしてジーザス自身本来そういう風に使っていきたいはずです。
それを何故マリアに香油を使わせっぱなしにしていたのかと考えると疲れているからかなと思いました。
人を思いやるというのは自分のことが出来ていてこその行動だと思います。
自身が疲れ切ってしまっている時、他人を思いやることが出来るのか?と思います。
ユダはジーザスを高く見積もりすぎているのだと思いますけど
ジーザスにとっての理想の自分はユダの思うジーザスなんじゃないかなぁ。
ただジーザスは自分自身が疲れてしまっていることを知っている。
だからユダの言葉に傷ついているんでしょうね。
マリアはジーザスのやりたいことを分かっていて
それをするためにもまずは自分を癒してあげないと、休まないと出来ないわよ?と言っているんだと思えました。