珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

音楽朗読劇「Jekyll VS HYDE」-2019/11/04-

2019/11/04(月)ソワレ

よみうりホール

 

 

原作 ロバート・ルイス・スティーヴンソン

翻案・演出 田尾下 哲

音楽 高田 雅史

キャストさん ジキル博士/ハイド氏 中島ヨシキ

       アタソン 高橋広樹

       マリー 南早紀

 

 

 

 

舞台情報知った時に ん?と思ったことをパンフ読んで思い出したけど

ジキルが善でハイドが悪と知らないなんてことあるの?

お話自体知らないなら勿論知りようないだろうけど

読んでも間違えるということだと思うから何かよく分からないなと思いました。

あんま納得出来ない〜

さくっとジーキル博士とハイド氏あらすじ見てきたら、

二重人格の代名詞としてジキルとハイドがひとり歩きし、

その結末まではあまり知られていないとありました。

そうなのだとしたら確かにそれぞれ善と悪を担うことも知らないのかも

と思ったんですがそういうことかな?

 

あらすじ読みついでにジキハイ読んでからだいぶ経ってるし、

あんまり覚えてないのかも…と思った一部は

時系列が演じる人数によるものか変わっているんだなと思いました。

やっぱりジキハイは小説が一番好きかもしれない(笑)

というのは私はアタソンの手紙やラニョンの手紙で

真相が知れていくのが好きだからです。

ミュージカルは手紙は難しいんだろなと思ったけど朗読劇なら…

と思ったんですがあの手紙というのはそんなに難しいんだろか。

 

あの何かを伝えるような少し淡々とした話し方は全ての事件が終わり、

警察に話している際の口調とかなんだろか?

話している最中、思い出した記憶のままパッと台詞口調になって

また落ち着いた口調に戻るの揺さぶられる感じ。

ちょっと覚えていないと思った部分はマリー役についてなんだけど

そもそも女性ってそんな出てきたっけ?というのがあって読み返したいとこだけど

ミュージカルからの役かな?ほんと覚えてないけど…

 

ジキハイ自体に興味持ったのが名作のあらすじを様々な方法で紹介する番組でした。

短編アニメでジキル/ハイド役を山寺さんが演じてらして、

そのイメージで小説も読むくらい括弧とした印象でした。

でも今日中島さんの、特にハイドが見たことないけれど

確かにハイドで見ることが出来て嬉しかったです!

ハイドは怒りが強く表れていて短気の印象が強かったけれど、

アンニュイな悪役として魅力にも思えるような狂気が抑えることなく

溢れていて恐怖で心が支配されるようでした。

同じであり違うとはこういう感じなのかもしれないなぁと

目の前での変貌を見て思ったりなどしました。

 

私は舞台上で血が流れてしまうというリアリティは苦手で、

もし事実そうなのだとしても血が流れる舞台を見ると

演出によっては想像力にゆだねてほしいと思うこともあります。

そういう点、朗読劇はゆだねてくれて有難いなと思います。

好きなお話で、好きな方が出て、好きな登場人物だってそんなことあるのか〜!!

と結構期待していったのに、

小説を読んでおぼろげに浮かべていただけのはずのアタソンが

目の前にいて一言で世界観に投入出来ました(´ฅωฅ`)

 

私はミステリーを読んでも読んでいるうちに分かったのを別にして

謎解きをしていなくて、読んでいると

だんだん真実に近づいていくその過程やスピード感が好きなんですが

ジキハイはまさにそれと思う作品です( ^ω^ )

だから誰が犯人か知ってから見ても気にならずネタバレ知っても

全く持って問題ないな〜とよく思います、

気にする方が多いようだから自分は気をつけなければと思うところでもありますが。

 

パンフの広樹さんのQ&A、朗読劇に臨む際に気にかけていることは?

が朗読劇を見る時に気になる点でした!

ほんと朗読劇という言葉ではどういう舞台かよく分からない。