Zsystemプロデュース「広島に原爆を落とす日」観てきました!
— 明音 (@akane_akaruioto) 2019年12月22日
とりあえずと読んでみた小説版は舞台が浮かばず謎に思っていたのに色々違いはあれど舞台になっていて不思議体験でした。
最後の場面は今日見ても10年後に見たとしても観客に問い続けてくるんだろうなぁと思います。#カマゲン #KamaGen pic.twitter.com/jN3ljYqKha
小説版と舞台版は設定からして違ったし、それぞれ切り口が違うと思うので登場人物による訴え方が違うんだなぁと思う。
— 明音 (@akane_akaruioto) 2019年12月22日
逆に同じように感じたのは最後の方の独白みたいな時間の台詞。
小説版とは違うとは思ってはいるんだけど先に読んでいるから納豆と出てくる度に暗喩なのかな?と考えてしまうとこある。
— 明音 (@akane_akaruioto) 2019年12月22日
夏枝さんが担ってるぽかったけど納豆になる人も関係はあったんだろか?
心が腐るというのでもあったのかな?と考えたりして。
八田さんが舞台されると知って観に行ったのですが春田純一は舞台版らしい役でエンディングの気持ちを持って振り返るとその姿と台詞から現実を強く感じました。ベンヴォーリオみたい。
— 明音 (@akane_akaruioto) 2019年12月22日
並列している時の何事もない平凡さ、いざという時の実力を隠しもせず立ちはだかる強さ、両極端が共存するのに混ざり合わずどちらかの面だけが表れる安定した不安定さが純粋に思えて怖いです。
— 明音 (@akane_akaruioto) 2019年12月22日
akane-akaruioto.hatenablog.com
あまりにも小説は舞台と違いすぎる。
小説はエンドがただただ重く響く。
またそれによって次第に見えて来ていた事実に失ったものを見る。
舞台は「これが俺の愛した日本か…」だったようなことを言ってエンド。
良いとも悪いとも言わない。
けれどこれからを担っていく私たちに日本を託された気持ちになります。
そんなに誇れる国なのかと考えれば誇れる部分はあれど
悔しさ噛み締めるような苦々しい部分もある。
この作品を上演した理由は知りませんが
結構こういう種の作品自体多いように感じられる。