珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

レインボーブリッジ

サウスルートから見えた崩れつつも整備されている島のようなものはペリー来航の頃に作られた砲台・品川御台場だったらしい。そのまんま地名なのに全然知らなかったなぁ。

嘉永6年(1853)6月3日のペリー来航は、江戸幕府を長い「鎖国」の眠りから覚ますことになった。

ペリー退帆後、幕府はすぐさま江戸湾の海防強化の検討に入り、勘定吟味役(※1)格江川太郎左衛門英龍(坦庵)らによる江戸湾巡視の結果、内海防備のための御台場築造が決定した。

築造計画は、西洋の築城書・砲術書などを参考にして、南品川猟師町(品川洲崎)から深川洲崎にかけての海上に11基の御台場を築造しようとするものであった。

工事は嘉永6年(1853)8月末に着手され、昼夜兼行で進められた。土取人夫(※2)などは第一・第二・第三台場築造時で5,000人にも及び、総築造経費は75万両(※3)という膨大なものとなった。

第一・第二・第三台場は翌年7月に、第五・第六台場と途中で加えられた陸続きの御殿山下台場は12月に竣工した。第四・第七台場は築造に着手したが、工事半ばで中止し、第八台場以降は未着手に終わった。

最終的に6基完成した御台場は、徳川将軍家に近い親藩・譜代とそれに準ずる家格を持つ大名によって、慶応4年(1868)の幕府崩壊直前まで江戸湾整備の拠点として警備が行われた。

台場の歴史|お台場海浜公園&台場公園|海上公園なび

ゆりかもめでレインボーブリッジを通る前にぐるりと回る線路、大きな倉庫や冷蔵庫そしてクレーンが続く無機質な工業地帯、広がる海と空の光景がとても好きなんですが電車では一瞬だけど橋の上からはゆっくり眺められてとてもいい~~

 

ノースルートは海が広がっているのが印象的で心が晴れやかになる。晴海あたりの高層ビルはイメージの東京らしい気がするし、市場のあたりも何が見えるわけではないけど楽しい。暑かったけれど大体日陰のノースルートは風が吹くおかげで思ったより気持ちのいい散歩道😂

 

これは眺めのよいハンバーグ。

大阪でレインボーブリッジを歩きたいと夢を知ってえ~うちも行きたい!いつ行く?を実現したわけですけど楽しいし、大きいものは格好いいし、遠目で映える橋は近づいても映えるんですわ👏素晴らしい

 

橋を渡ってどうしようか?と話していて四季70周年コラボメニュー食べようよと提案してくれる優しさ😭ありがとう

🫰🫰🫰

小石くらい小さい悩みというか滞った気持ちは放っておいても自然消化出来るのだけど話してさらりと聞いてもらえると石の上を少し足上げて歩いたような気持ち。我慢はしてないけど話すほどのことでも…をそういえばと思えるの有難い🙏