毎日帰り方を変える一環で目的もなく寄った本屋、
ふとエッセイが読みたいという気分になって『一杯のおいしい紅茶』を手に取りました☕
一杯のおいしい紅茶|文庫|中央公論新社 (chuko.co.jp)
紅茶の淹れ方に11もこだわりがあるのが面白くて買ったけど、
最後の一文や手紙から見える生活によって紅茶の好みは事実にしても日常への願いを感じます。
配給制の世では限られた紅茶を美味しく飲むこだわりを持つ自由は希望でもあるんだろうなと思いました。
せっかくならより美味しく、を真剣に考えて自分の好みを話す。
単純に生活が明るくなりますよね。
エッセイ読んでからミルクを先に入れて紅茶注いでみたんだけどよく混ざってこれもいいなと思いました🐮
11も、とか言ったけどお湯の温度は沸騰してないと駄目だとか
ポットは陶器製(金属のが駄目だということ)など
まぁ大体それはそうだよね皆そう思うんだなと思っちゃう。
後の章で段々と打ち明けられていくエンタメや世界観のある作品は注釈で補える差異だからこそその作品を笑うものであり、
その時代の生活や時事問題に留まらず共有している感覚に訴えかけるような作品と共に笑うものは残りづらいものなのかなと思う。
読取間違えかもしれないし、無知だから自信ないけど。
調べたかったものは全然分からなかったんだけど
大まかに歴史の流れと都市計画を見られると国の制度や文化、
その時々によっての理想が違って面白い気がする、
半分以下しか内容分かんないけど(笑)
郊外に田園都市をつくる、都市に中庭など緑を取り入れた集合住宅をつくる…
そういうのを見ると自然の役割というものは劇場の役割と似たものがあるんじゃないかな?と思えます。
批評については昨年
え?こんな表面上のパッと見て分かるところしか書かない批評ってあるの?何も調べていないの?
と何十回も思ったので状況きっと変わっていないのだろうと思う。