珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

EPITAPH東京

 

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読み返すスピード早め。

きっかけは東京心覚。

 

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p9
馬頭観音

パワースポット 東京赤羽橋 伏見三寶稲荷 馬頭観音の石碑 | 占い師 富士川碧砂オフィシャルブログ「神さまを100%味方にする!『開運』ブログ」Powered by Ameba

 

p10-11
よく見ると古くはここが七叉路であり、巨大な辻であったことに気付く。
馬の守り神である馬頭観音は辻の守り神でもあるからだ。
では、辻の守り神とは何から守っているのだろう。
「それはズバリ、疫病からですよ。疫病から集落を守るんです」

へええ

 

p12
大事なもの、すなわちそれは神になる。
筆者はぼんやりとそんなことを考えた。大事なものと恐ろしいものは神となる。

東京ではこういうつきあいが結構多い。そこでしか知らない顔。一点でしか接点のない人。

こういう話を聞くと思う。
だからこそ安心するのは個人差か、東京故か。
深く付き合うのは温かみももたらすけれど同時にリスキーな行為でもある。
隣に住む人もあまり知らない、それくらいが心地良い。
私はそう思うこともある。


大体ね、ほんの少し前まで流行り病でどれだけ人が亡くなっていたと思います?疫病がいかに恐ろしかったか。年中行事やお祭りなんて、ほとんどが疫病退散と一日でも長く生き延びることを祈って始まったものばかりですよ。

 

p14
あの時、筆者が興味深く見たのは、やはり疫病は道を通ってやってくるという古くて新しい事実なのであった。

このコロナ禍では身に沁みて分かることですね。

人の動きが病を運ぶ側面は変わらない。

 

p18
じゃあ、吸血鬼が欲しているのは、元来「情報」であると。

p20
「ポイントは、シシュアなんですよ」
「シシュア?」
死んでいる者ですよ、

この街は、無数のシシュアの記憶でできている。忘れられたシシュアが街を構成し、この街の秘密を支配しているんです。

p24
「ーーなんで、将門塚なのよ?」
「なんとなく」
「やっぱり、東京について書くんならここに来なきゃと思って」
「そういうもんですか」
「ある人に言われたの。東京は死者がポイントだって」

思いきり東京心覚で思い出したあたりです。

 

p29
こけしは「子消し」なんだよ。
Sちゃんはある時、そう言った。

p30
こけしというのは、小さな女の子を表現した人形なのだ。
そして、女児というのは、貧しく食い扶持が少なかった時代、切実に必要とされていた労働力にならないため、間引く対象になった子供でもあった。

こけしは間引かれた子供の代わりであり、鎮魂の人形でもあったのだ。

座敷童子然り。


p34
「知らなかったよ、東京都の霊園が松戸にあるなんて」
「でも、あの霊園、昭和十年にはもう東京都が買ってるんだよ。当時は東京市だったけど」
「あんなべらぼうに広い土地を?」
「うん。既にその後の需要を見越してたわけだ」
「一九三五年ーーまさか戦争を予想してたんじゃないよね」

 

p39
東京にふさわしい墓碑銘とは何かーー
遥かな未来、地球に降り立った異星人が掘り出した遺跡。あるいは、うんと進化した人類、変貌した人類、もしくは人類にとって代わった別の生き物が東京の存在を発見した時、そこに刻まれているべき墓碑銘とはなんだろうか
目の隅に、さまざまな墓石が入っては過ぎていく。
たまに刻まれている短い墓碑銘を目に留める。
「感謝」「心」あるいは、聖書の一節。
ふと、ある一文が浮かんだ
「あの頃はよかった。」
東京の墓碑銘としてどうだろう?
「あの頃はよかった。」
都市はいつだって、過去のほうがよかった。平成ならば昭和が、昭和ならば高度成長期が、大正のデカダンが、明治の青雲の志が、最もオリジナリティに満ち、洗練された文化のピークであった江戸時代が。
だが、筆者が考えなければならないのは、実際の墓碑銘ではなく『エピタフ東京」のほうなのだーどこに手がかりが、ヒントがあるのだろうか。

割と怖い部分な気もします。

常に過去を羨んでいる都市。

そこに囚われると戻れなくなりそうですね。

 

p46
「この大都会東京は、言われた通りに行動していれば至極便利で効率的な場所だけれど、いったん指示から外れた行動を起こそうとすると、たちまち巨大な迷路と化すのです」

行動が予測されてルールに伴わないと異端扱いされる。

時間もそうですけど大勢が同じ時計で生きているから少しでも自分の時計がズレると途端に生きづらくなってしまうね。

 

p109
鉄は国家なり

八幡製鉄所

mainichi.jp

 

p160
誰かのゴミは誰かのモンゴである。その逆もまた真なり。
p155-156引用ではなく要約です
モンゴ=アメリカの俗語で道端に捨てられている、まだ使用可能なゴミ、あるいは、鉄くずを拾う人そのもの。
あらゆる「ゴミ」として扱われているものから「新たな価値」を見つけ出す人。

都会のゴミ捨て場、特に都会からは都市そして劇場を感じて舞台だと思う部分だから元々好きではありました。

CATSは普遍的だと今まで幾度も思ってきたけど改めて思います。

新しいものに触れるたびに立ち戻ってまた感じるところがある深い作品。

何度でも繰り返し考え続けてもシンプルすぎるが故に考え尽くすことがないのかもしれない。
そうなのか分からないけど。

 

p167-168
『エピタフ東京』のクライマックスの台詞は幾つか頭に浮かんでいた。
登場人物の一人が、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」をBGMに語る長台詞。
 恐らくそれは、これまで都市というものが呑み込んできた、多くの命について触れることになるのだろう。都市というものが初期の成立段階で人柱にしてきた人々、都市が成長し巨大化するために歯車として消耗してきた無数の労力、あるいは成り上がりを夢見て都市に引き寄せられ、あえなく敗れ去っていった志の数々を悼む台詞になるはずだ。

シアターオーブの話題が出てくるので割と楽しい。

 

p179
Piece十四、点と線

 

p212
それよりも、印象的だったのは、強いということは、美しいということなのだ、と改めて思い知らされたことだった。

美しい人は無駄がないにも通ずるのかな?

 

p214
マッカーサー道路

www.cbre-propertysearch.jp

恐らくは、高度成長とバブルを経験し、その後始末の時代を過ぎて、都市が次のフェーズに入ろうとしているからではないかと思う。今体験している都市が(都市というのは、体験と言い換え可能な気がする)、過去となっていく瞬間を常に目撃していて東京はやがて経験する未来から過去を回想しているところに居合わせているような、めまぐるしく時間が逆向きに流れていくような、奇妙な感覚だ。
 東京では、いつも過去と未来が激しく戦っている。居残ろう、存在を主張しよう、土地に爪を立てて痕を残そうとふんばる過去に対し、未来は常に先へ先へと進もうとし、過去の痕跡を完膚なきまでに消し去ろうとする。

ミュージカル千夜一夜、「ザ・ドライ・サルヴェイジズ」に潜んでいるらしい“記憶について、また私たちはなぜ過去を必要とするのか”
はーーーーーー読んでもピンとも来ませんね(笑)ちっとも分からん…とりあえず別の訳読んでみるかなぁ。

特に" 一人の人生の体験に留まらず 幾世代の人々の体験"ってのが分からん。

 

これは前置いてるように人なんだよ。
自分自身が幾世代前から続いてきたモノ自体だから。
だから現在と過去は未来にあるし、未来は過去に含まれるんだよ。

と聞いて。
自分自身がそういう存在であるのは確かでもどうもはいそうですかとは言い難い。受け止める準備が出来ないな💦

読み返していて“東京(=都市)”も現在も過去も未来にあり、未来が過去に含まれるんじゃないか?と思えたのでした。
“意義の蘇った過去の体験は 一人の人生の体験に留らず 幾世代の人々の体験”も自分自身がそういう存在だと受け入れるのは簡単じゃなかったけど都市だとそうかもと思える、私は。

 

p222
追っている者は、常に自分が追っていると思っている。

 

p244
烏森神社

 

p247
お風呂も、TVも、みんな、「あたし」だけのものにしちゃったんだねえ。映画館も、みんな個人のものになっていった。みんなのものがなくなる。どんどん細かくなって、一人一人が壁に覆われていく。なんでも、今の時代、人間は未だかつてないプライバシーを獲得したんだってね。

 

p260

 

p285-286
 自分が暮らすことのない家、見るはずのない風景、自分で使うことのない橋、誰かが聴くだろう音楽、そういった生活の容れモノを造り続けている。
 この高く聳える摩天楼を墓標と呼ばずして何と呼べるだろうか。
 天まで届く墓標、無数の名が刻まれた墓標。僕たちは墓標の中で墓標を造りながら暮らしている。生きている。

この言葉が気になったのは思いきりRENT「One Song Glory」を聞いたからです。単純すぎる(笑)
結局映画もかなり前に見たきりなのでRENTもう一度見たい。

“誰かのゴミは誰かのモンゴである。”については博物館学でざっくり似たようなことを聞き、そういったものを集めた場所が博物館だとも聞いてへええと思った気がする。思っただけでちゃんと理解してないけど価値観は一定でも共通でもないと思えた気がする。

 

p288
 西欧人や中国といった大陸のほうの人間は、モノを文字通り「立ち上げる」。
 しかし、日本ではモノを「均す」。なんでも均して、平べったくして、周囲に「馴染ませる」のである。