珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

Everybody’s Talking About Jamie アマゾンプライム配信

 

 

youtu.be

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アマプラのジェイミー見ました👠✨

 

映像は何でもそうだけれど過去回想が出来たり、実際に場所が移り変わったりするのが強みで素敵なところだなと思います!ジェイミーの家がどんな場所にあるのかと冒頭パーティーが視覚化されてるの好きでした!

 

ドラァグクイーンのパフォーマンスにも色々あるのかもだけどその一つに歌手の歌に合わせて踊るパフォーマンスがあるならそれは舞台で見たことがあるなぁと思いました。気づいてなかっただけで自然と見ていたりするのかも。

 

ただ映画の街の雰囲気は似ているなと感じました。

 

舞台でミス・ヘッジ(ジェイミーのクラスで進路ガイダンスを行う先生)とマーガレット(ジェイミーのお母さん)は行動や思考が分かりきらないなぁと感じていたんだけど映画見て納得しました。

 

ミス・ヘッジを見ているとあんなに厳しくするのは何故なんだろう?と思います。Work of Artについては映画でジェイミーが先生より僕の方が未来があると言ってしまうからなんだなぁと思いました。

ミスヘッジが本当に生徒たちを大切にしていないのなら漠然としたスターになりたい夢を応援するだろうと思います。ミスヘッジはそうではない。生徒たちに真摯に向き合い、言葉を届けている。それはまっすぐすぎる優しさと心配です。
ミスヘッジが何をしたかったのか、そして何をしたいのかは分かりません。ただ雰囲気で沢山諦めることが合っただろうことを察せます。それに女性だから尚更壁があったのだろうし、今もぶつかっているだろうことは想像容易いです。
そんなミスヘッジに対して男性であり、事実未来が開けているジェイミーが口にする“未来がない”という真実。本当に言ってはいけない一言だと思います。あれはとてもミスヘッジを傷つけたんじゃないだろうか。
ジェイミーも戦っているけれどあまりにも自然に日々戦っている人がいると考える一言でした。作品中の人物だけれどミスヘッジに何か良いことがありますようにと願ってしまいます。

 

マーガレットの「He's My Boy」、ジェイミーのお父さんには文字通り、ジェイミーに対しては離れていく未来を思っての男に泣かされる(大体の意味合い)。

ジェイミーに“お母さんの人生には自分がない”と酷いことを言われても愛する我が子の離れていく未来に涙することを思い描いているマーガレット。
舞台では成長を含めたジェイミーを見つめる無条件の愛は傷ついて帰ってきたジェイミーを見てすぐさま薬箱を取り出す行動に集約されているように感じました。
映画の自分が周りから照らされていたことに気づいて謝るところが好きです。家族でもぶつかることはあるにしてもその優しさに気づいて感謝出来るのは大切なことですよね。本当に美しい。

 

ロコ・シャネルの物語は物語であってというのは映画内容のカモフラージュなんだろうか?単純に内容が違う?
自分が生きて感じていない時代は17年前も石器時代も教科書の歴史のごとくな側面あるんだと思う。

ロコ・シャネルとして戦った若き日々は愛する人も周囲の仲間もエイズに倒れて失ってしまうのと同時進行だったのを予測出来たはずなのに繋がっていなかったなと思いました。
明らかに衰弱していく愛する人と見るフレディ・マーキュリーが亡くなったというニュース。落胆する彼を笑顔で励ますロコ。闘病の日々をVHSで見るというのがヒューゴの言う“時代についていけない”を感じさせて切なくなります。
今も変わらずドライフラワーになった花束を大切に抱きかかえるヒューゴ。ここに至るまでどれだけの思いと共に過ごしてきたのだろうと思ってしまいます。
ジェイミーが思っていたドラァグクイーンとヒューゴが伝えてくれたドラァグクイーンについて聞いていたプリティは貴方が残っている人からバトンを受け取り繋いでいかなきゃ!とジェイミーの背中を押します。それを聞いてプリティは本当に賢い人だなと思うわけです。