昔書いたのを引っ張ってきました。
●ペテロの否認
滝田ペテロの慌てよう。
動揺が見てとれる。
ここ以外は歌声が澄んでいるだけに血走ったような声が気になる。
これは自分が助からないかもという不安からのように感じる。
ジーザスを思う冷静さはない。
佐野ペテロの動揺はジーザスを思っていて、裏切りと自分を秤にかけている。
気が小さいんかな?
●
CD、
マリアの透き通った歌声、滝田ペテロの美しい高音、無理なくナチュラルに移行するので聖人らしい。
本来のペテロはこうであるというのが見える。
人柄の良さが出ている。
マリアからは聖人らしさ+母性も強く感じる。
包み込むような温かい歌声。
ペテロは何かを超越するような清さと偉大さが透ける歌声。
そして「分かりはするけれど」の分かってはいても受け入れられない悲しさを含む歌声。
スタンダードペテロは滝田さんだと思いました。
JCSというよりキリスト教のイメージはこっちのが断然近い。
野村マリアのジーザスへの自分でもよく分からない思いを歌う姿、
佐野ペテロの後悔と共に何故?が織り交ぜられたような歌声。
佐野ペテロの急に高音になる具合は全然自然じゃないものね!
高音を出すことによってペテロの思いが
ジーザスへ届かない悲しみが分かる気がします。
あれ凄いけどペテロとしては珍しかったりするのかな?
やはりね~役に対する解釈が佐野さんと私は合わない。
全然合わない(笑)
だからこそ一度何故佐野さんはこう演じているのかを考えなければいけない。
だからこそ佐野さんの演技好き!!
今日思ったのだけどJCSのように神の子イエスに対して疑問は投げかけるけれど、
神はいるという大前提は揺るがないのだな~と。
それがまず私には不思議に思える。