世界遺産登録20周年記念奉納行事
それぞれの刀の元主がまだ追いきれていないので意味合いがあるのか分からなくて、
今のところだと和泉守兼定が広島にいることを考えました。
フィクションでも未だに考え続けてしまうだけですが。
Zsystemプロデュース「広島に原爆を落とす日」-2019/12/22- - 珈琲とmilkのパーセンテージ
舞台 刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち-2020/01/07- - 珈琲とmilkのパーセンテージ
広島に原爆を落とす日という小説に和泉守兼定は出てきます。
あれ意味があると思ってとても引っかかってます。
いまいち分からない。
結構内容はしんどいので精神強めのときにでも!
影響力がいつまでも消えない舞台のような小説です。
"舞楽 厳島神社に伝わる古典" https://t.co/kP6gNnihKY
舞楽の映像見つけてみたけれどやっぱり逆向きで演じられていて、
私は海と鳥居を背景にした方が舞台に立つ人が自然に引き立つと感じる。
出来ない理由があったのかもしれませんが逆で見てみたさある。
あの座席配置だったらどこが一番幻想的だろうか?と考えたんだけど多分上手側、下手側から祓殿を見るのが海を生かして見えるかもしれないと思いました。祓殿は屋根が低いので中で何かをするわけにはいかなさそう(上下の座席には斜度もあったので)なのが既存で仕方ないにしろ勿体ないなぁと思う。 pic.twitter.com/z7IhSrn6xp
— 明音 (@akane_akaruioto) 2020年4月26日
高舞台の公演を調べていて知ったんですが私が好きだと思った能舞台、当然満潮時に演じるのだと思っていたのにどうやら干潮時に演じられるっぽいのなんで?床の関係とか?
— 明音 (@akane_akaruioto) 2020年4月26日
単純に海の上に浮かんでる方がいいなって思うんですがダメな理由があるんでしょうか?
憧れてたので驚きと悲しさがある… pic.twitter.com/HB3tr4nP60
維伝を見た時にこの反橋を思い出しました。 pic.twitter.com/1x9682R4R2
— 明音 (@akane_akaruioto) 2020年4月26日
長らく憧れていたので思いが募りすぎて舞台に対してしか言及してない(笑)
調べたところ、私の好きな能舞台を仮に作ったのは毛利元就だったらしく
海に舞台を浮かべてみようと考えたセンスと実際に行動する権力に脱帽です!
確かに戦うにおいて、民にとっても
海の上の能舞台は見られる人が少なすぎて役に立ってはいないだろうと想像します。
ただ文化というのは生活の余剰といいますか、
権力者にしかできない文化とそれに伴う技術というのはあると思うんです。
誰もが平等でない、だからこそ育まれるものもあるんだろうとは思います。
2021/08/29追記
(前提は https://t.co/M3nkUH8Og8)
このブログの「舞殿と能舞台」を読んで厳島神社の演じる向きとても納得しました!やはり背景は海になるべきで神楽は神様が見るものであるから神社側が正面、能は観客が見るものだから観客側が正面で造られているってことだよね! 刀ミュ厳島公演は神楽、壽はその時の背景を見られたってことかな?
こう考えると厳島神社の背景はギリシャ古代劇場的な自然を計算しているのに近いのかなぁと思います。どう考えても美しく神秘的なの想像に容易い。ただやっぱり実際に造ったというのが凄すぎる気がする。
平家の刀を知らなかったので今見たほうがグっときそうな気がしてます。
(あともっと長曽祢さんしっかと見ておけばよかったよねーーー!)