2021/07/23(金)ソワレ
彩の国 さいたま芸術劇場 大ホール
ストラヴィンスキー没後50年
Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』
『夏の名残のバラ』*芸術選奨文部科学大臣賞、日本ダンスフォーラム賞 大賞受賞記念
演出振付:金森穣
音楽:F.V.フロトー《Martha》より《Last Rose of Summer》
衣裳:堂本教子
出演:Noism0
映像舞踊『BOLERO 2020』
演出振付:金森穣
編集:遠藤龍
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詳細‣https://noism.jp/npe/bolero2020/
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『FratresⅢ』
演出振付:金森穣
音楽:A.ペルト《Fratres》
衣裳:堂本教子
出演:Noism0、Noism1
『春の祭典』
演出振付:金森穣
音楽:I.ストラヴィンスキー《春の祭典》
衣裳:RATTA RATTARR
出演:Noism0、Noism1、Noism2※引用ですが上演順序に並びを変更しています
『夏の名残のバラ』、映像舞踊『BOLERO 2020』、『FratresⅢ』
— 明音 (@akane_akaruioto) 2021年7月23日
Noism0+Nosim1+Noism2『春の祭典』見てきました。 pic.twitter.com/ywTR0CblkR
『夏の名残のバラ』
枯れ葉が散った地面の上で踊るというのはさぞ踊りにくいんだろうけれど光景としてバラ(深紅のドレス)が映えて見えます。
井関さんを映し続ける山田さんの存在はどういう役割なのか。パンフレットに掲載されている詩を詠う人の視点ではなさそうに思える。あたかも空気のように存在してバラ(井関さん)を支える、でも関係性が強く感じられない。目には見えているけれど存在があるわけではない、でもあり?
映像舞踊『BOLERO 2020』
なんで劇場にいるのに上映なんだ?と苦しくもどかしいだろうと予想してたけどそうでもなかった。ボレロの低音パートを踊ってらっしゃる方がいると気づいたからか、最後の開放だけでも舞台で見たかったけれど既にメンバーは変わり叶わないと分かっているからか。
映像舞踊『BOLERO 2020』 - 珈琲とmilkのパーセンテージ (hatenablog.com)
『FratresⅢ』
ついに…😭FratresⅠの記憶が群舞くらいまで薄れてしまって悲しくはあるんですが、Ⅱの象徴的な金森さんの立ち姿と組み合わさる美しさ。天から降り注ぐお米が山河による恵み、新潟らしさの象徴に感じられて相変わらずとても好き!
中心にいる金森さんが歩み去るも降り注ぐお米を受け止める大地…Noism Company Niigataがりゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団だと知って光景を見つめる心がある。
あと前方にいらっしゃったのもあるんだけど中尾洸太さんの踊りが美しくて気になる!
akane-akaruioto.hatenablog.com
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『春の祭典』
【Stage Photo by Kishin Shinoyama】
— Noism Company Niigata(ノイズム) (@NoismPR) 2021年7月13日
ストラヴィンスキー《春の祭典》の”音”そのものに着目し演出振付した実験作。
Noism全カンパニーから総勢21名で挑む、現代人による現代人のための『春の祭典』。
▼Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』
7.23-25 埼玉/7.31 札幌https://t.co/XQST2TEfhi pic.twitter.com/JUDzHfn2L3
【Stage Photo】
— Noism Company Niigata(ノイズム) (@NoismPR) 2021年7月16日
『春の祭典』
演出振付:金森穣
音楽:I. ストラヴィンスキー《春の祭典》
出演:Noism0、Noism1、Nosim2
▼Noism0+Nosim1+Noism2『春の祭典』
7.23-25 埼玉/7.31 札幌https://t.co/XQST2TmEpK
Photo:Kishin Shinoyama pic.twitter.com/0pkBp1Z1rR
幕上がって井関さんが白シャツ血色のない顔色で鬱々と歩いてくるさまを見て(ロミジュリ…!)と浮かび、わぁどうしよう苦手かも…と不安になったとこで音楽が鳴り出す。なんでか不安になる音楽は好きだから180度真逆にストラヴィンスキーなら👌に変わった(笑)
“生贄に選ばれた乙女が死を迎えるまで踊り続ける”これが春の祭典にある原案で、ダンサーが患者(に私には見えた)なことで〈パンデミック〉によって炙り出された本心や攻撃的・過激な側面と向き合う作品でした。作品でした、とか言っちゃったけど常に私がそう思っているだけです。言葉にならないことを見られるのが踊り、皆さんはどう感じるんだろうなと拍手しながら思う類の作品。コロナ禍はいまだ続いていて人によっては考えない時間が欲しい方もいるだろうから無理に向き合うことはないと思うけど私は作品を通して見つめてみる時間を持てて良かったです。
ロミジュリもJulietsで人間は様々な側面があり、それを使い分けている(SNSという言葉から複数アカウントが浮かんだ記憶)で目には見えない精神的な部分を見た気がしました。春の祭典も同じように精神を視覚化したように感じられました。
電車の椅子、座らない人もいるし、座っても1席空けて座る人が多い気がする。舞台、ベンチをもぞもぞと譲り合って少しでもを感覚をあけようとしているように見える患者たち。普段見る光景すぎる。
パンフレットで先にsolo for 2で支えないと座れない3本足の椅子作ってらした須長檀さんがまた椅子作ったとしり期待してました。幕開いてすぐ一直線に並ぶ椅子は背にある細い3本線が有刺鉄線など見えるのに超えられない壁を感じさせるようでした。側面が赤いのも怪しくて好き。椅子を積み立てて門のようにしてしまうの、本心は恐れていて関わりたくなかったという拒絶の現れのようで赤に染まるのが鮮やかで好きでした!
三方囲んでいたゲルニカのような模様、色合いの薄い幕。ゲルニカでないのは分かっているんだけど苦しみと人の顔がどうも見える気がして浮かんでしまうのだと思う。
会って話がしたい。一緒に笑い合いたい。大切な人とかけがいのない時間を共にしたい。誰だろうと一人で生きてはいないから人々の目を掻い潜り抱き合う2人は眩しいほどの純粋さ。ただそれを許さず監視する周囲の鋭い視線。これパンデミックじゃなかったら周りが反対してると思うだけだった。今見るからこそ周囲の鋭い視線の一人に私がなっている自覚があってただ物語として見てはいられないよね。引き裂くつもりはなくとも周囲の目には誰でもなりうる。
親密な間柄に見える女性同士のうち一人が人々に囲まれ抑圧されもう一人を指差す。心許していた相手から生贄に差し出される乙女、また数によって精神的に逃れようとした自らの行動で大切な人を失ったもう一人の乙女。全てを捧げ踊り続ける姿、生き残る乙女は平然と生きていけるだろうか。