2021/02/26(金)ソワレ
さいたま芸術劇場 小ホール
『残影の庭―Traces Garden』
演出振付:金森穣
音楽:武満徹《秋庭歌一具》より *伶楽舎による録音音源を使用
衣裳:堂本教子
出演:Noism0
*初演:ロームシアター京都「シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能Vol.4 雅楽」(2021年1月10日)残影の庭~Traces Garden | Noism Web Site
『Das Zimmer』(ダス ツィマー)
演出振付:森優貴
音楽:S.ラフマニノフ、F.ショパン
衣裳:鷲尾華子
出演:Noism1
『Duplex』観てきました🏚
Noism0「残影の庭―Traces Garden」
Noism1「Das Zimmer」
実際に観る順はNoism1→Noism0でした。
本当に良いと意味を求めたり、言葉に留めたくなったりする自分を
浅ましいなと思う気持ちもあるよね。
良いものは良い。
ただそれだけでいいんじゃないかと思いながらも言葉にしたくなってしまうのだけど。
Das Zimmer
照らされた瞬間が暗転によって区切られている冒頭。
だからか部屋の持つ記憶、
今まで部屋の中で行われてきた人々の行動が同時に存在するような
違和感を目にしているようだなと思いました。
途中からは記憶が長めに再生されるような感覚
(酒場の中心で踊るダンサーみたいに見えたところ)
自然に思い出したのか、パンフレット読んだからか定かじゃないし
イメージ先行するのは良くないと思うから名前は出していかったけど
「知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し。」に影響されながら見ていました。
想像のストーリーの大元が大体この公演(笑)
akane-akaruioto.hatenablog.com
私自身はネタバレ気にしないし昨日から感想探してましたが
The Empty Spaceと表されてる方がいた意味は
なんとなくパンフレットから分かるかもしれない。
とはいえThe Empty Spaceを私が知っているとは思えないけども。
酒場のように感じられた場面でセンター後方に座る男女、女性が立ち上がり
歩み出そうとすると男性が右手をスッと前に出して制する。
え?何なに?と関係性気になったのだけど後のペアダンスとの関係はあるのかな?
女性は女性、男性は男性で分けられている印象もあったからこそ
待っている、向かうように見えたような。
物語でなく抽象作品なのに女性らしい男性らしいのが珍しく感じるのかもしれない。
マッチ売りの話とは違ったけれどこのノッてきたところを
暗転で切られるのはマッチ売りの少女のように
あと少しと望むと消えてしまう気持ち?と今思ったりなど。
そういえばDas Zimmerを観ていた時にルネ・マグリット「大家族」が浮かんでいました。
【作品解説】ルネ・マグリット「大家族」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース
思い浮かんでた理由は調べるに私の勘違いでしたが
“外す”という意味ではシュールレアリスムだからかもしれない。
残影の庭―Traces Garden
自分の単純さを改めて感じるわけですが雅楽好きになれそう(笑)
暗転からの3人を照らす3つのライト。
目に見えている光景としては個々人の違いが見えている。
けれど感じる印象としては均一な存在が3人。
(後々思いましたが黒衣という存在を黒い衣をまとわずに
顔が見えた状態で感じるようなものかもしれない)
所作舞台(https://t.co/4gvbT71qzt)で見るような
ダンッと床を踏み鳴らすくらい地に重心を落とすようなものは
初めて見た気がして驚きました!
見れば見るほど不思議なのだけど
舞踏の形は今までのNoismだなぁと感じられることをされているのに違うと感じます。
黒衣である存在が色づいた衣を身にまとうと
途端に役を生きだすというのがなんとも舞台だなと感じます。
光が当たった途端にその光を浴びる存在に変わるのも舞台だなと感じます。
赤衣を羽織った井関さんへ黒衣のような存在の影が近づいてくる、
という映像演出もあってクロノスカイロス1のように残影の可視化かと思ったけれど
自分自身の残影ではないのが踊りから分かりました。
何だったのかは分からないんだけど…あれ素敵でした✨
何でもそうだけど複数作品から見つけた中の共通点“らしさ”を感じることある。
それはいいことなんだろうか、と思うこともある。
記憶のストックがあるから引き出してるのだけど
これは意図してないんじゃないかと思うと知らないことに憧れてしまう。
全部勝手にもだもだしてるだけだけど(笑)
今回の作品に過去作のオマージュはあるのか、
そう感じたところはNoismらしさなのか、分からないなって話。
『Mirroring Memoriesーそれは尊き光のごとく』のように
示されてるわけじゃないから浮かんだ関連付けに自信がない。
西洋発祥のクラシック・バレエは、垂直軸を基本に、身体を上へ、外へ開いていきます。それに対して、Noismのトレーニングは極めて東洋的な水平軸の発想を取り入れています。身体を横へ、下へ伸ばし、拮抗するスパイラルを意識して身体を動かします。
さいたま芸術劇場 小ホール
前も思ったんだけどさいたま芸術劇場の小ホール好きだなぁ*´ㅅ`)"
劇場自体がめちゃくちゃテンション上がる!
あれってグローブ座のように劇場作ってるのかな?
東京芸術劇場のプレイハウスや世田谷パブリックシアター(主劇場)も思い出す。
えええええ本当に実現したらめちゃくちゃ嬉しい…!
取り囲む客席で見る踊りは映え方が段違いですよね!
私はめちゃくちゃ好き!
そう思ったきっかけは青山円形劇場だけど絶対素敵だと思う🙆
小ホールの空間はオルケストラなんだろうかっていつも思うんですがどうなの?
あと少しテアトロ・オリンピコ思い出す客席。
小ホールの客席とステージの間にある半楕円形の空間はオルケストラ?というお話。
Noism『Duplex』/金森穣「残影の庭」驚くほどタイトルどおりの作品。この世界で見えているものは何であり、見えていないものは何なのか、そしてそれをどのように視覚表現にできるか。
— 門 行人 (@y_cadeau) 2021年2月26日
たとえばアタックの強い動きを控え目にし、中間点を全部たどっていく丁寧で滑らかな動きを使うことで時間は「見える」ものになる。だが動きそのものは?動くとは、ある地点にあったものが次の瞬間にはそこになくなることだから、動き自体は目に見えないのではないか?(アキレスと亀のパラドクス)
— 門 行人 (@y_cadeau) 2021年2月26日
【Noism『Duplex』】
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年2月26日
森優貴作品はNoism1への『Das Zimmer』。「部屋」という意味だが、今回最上段の席から見下ろすと、小ホールの空間がもつ「箱感」が実に作品にフィットしていた。くすんだ古いヨーロッパのような衣裳、様々な関係性の中で踊るシーンが何度も差し込まれる暗転で分断されていく。→
→公演を重ねて各フラグメントを貫く糸がさらに成長するのが楽しみな作品。
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年2月26日
Noism0(金森穣・井関佐和子・山田勇気)は武満徹作曲『秋庭歌一具』を伶楽舎との協働で『残影の庭―Traces Garden』。冒頭に三人が並んで動くシーンだけでも、音ハメのようで実はその前後の『ここ』というタイミングを→
→三人の殺気で合わせるようなゾクゾク感が期待を高める。これまで和洋折衷の試みは数限りなくされてきたが、ほとんどが上っ面をツギハギしただけの結果に終わっている。
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年2月26日
しかし本作は折衷ではなく深く身体で考察し理解した結果の動きなので、→
→袂の長い衣裳で踊っても説得力が違う。
— 乗越たかお (@NorikoshiTakao) 2021年2月26日
形ではなく身体の有り様の中に和と洋が共存する、類を見ない作品。
舞踏の見方が分からない
「舞踊の見方が分からない」これは普段舞踊を見ない人が口を揃えて言うこと。そこでミラーニューロンの話をする。「見ている時にあなたも踊っているんですよ」「あの世界にあなた自身がいるんですよ」と。そこで命題が生じる。「ああ言う風に踊れたら」「あの世界に浸りたい」そう思わせられるか否か。
— Jo Kanamori / 金森穣 (@jokanamori) 2021年2月19日
これとても救われる。
舞踏が好きだと知っていても何も分からない故に自信がない部分だから。
CATS観てあんなに軽やかに踊るの凄いな〜気持ちいいのだろうか?と思って
一瞬バレエやってみたことあるけど足裏が健康になったくらいだったなぁ。
舞踏はよく分からないけど好き、と自覚してから数年といった感じだけど
じゃあ何を分かると勘違いしているのか、というような気もする。
物語のある舞踏は事前知識も得られて想像し投影するのかも。
抽象作品は自分の中を大捜索してなんとか探し出す過程で作品に溶け込むのかも。
私自身は踊る人ではないのに音楽(北欧音楽が多いかもしれない)を聞いて
踊っている姿が浮かぶことがある。
あれってなんなんだろう?
その曲で踊っている人は見たことがなくても浮かぶものは浮かぶよね。
とても不思議。
歌もよく分からないけども言葉である分だけ分かるような気がしてるのかもしれない。
単純すぎる。
台詞の発展で歌なこともあるから意味や場面とか色々考えてしまうこともあるけれど、
心地よい歌声に浸るというのは舞踏の抽象作品のように
心の純な部分に触れるような感覚がある。