珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

美女と野獣-2023/04/01-

2023/04/01(土)ソワレ

舞浜アンフィシアター

中間上手寄り

 

キャストさん
ベル 五所 真理子

ビースト 小林 唯

モリース 澁谷 智也

ガストン 酒井 康樹

ルフウ 肥田 晃哉

ルミエール 岩崎 晋也

コッグスワース 吉賀 陶馬ワイス

ミセス・ポット 潮﨑 亜耶

マダム・ブーシュ 戸田 愛子

バベット 杉野 早季

チップ 秋山 紘大

【男性アンサンブル】
山口 優太 水原 俊 和泉澤 広野 大脇 史門
上野山 僚太 田中 勇人 櫻木 数馬 辻 雄飛

【女性アンサンブル】
原田 美欧 武田 恵実 堀江 美月 松元 恵美
嶋本 優美子 矢鳴 優花 大寺 葉月 北中 芹佳


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『美女と野獣』作品紹介|劇団四季 (shiki.jp)

 

この公演を覚えていたい理由

何が素晴らしかったって現在のプリンセスとプリンスの感覚ってこれかもしれないの一つの答えを見た気がしたからです!私がハッとしたのは王子様像もひとつではないってこと!唯さんのビースト、とても当たり役だと感じました👏今まで持っていたビースト像とまるで違く感じられるのにとても納得して王子様でした!こういう衝撃めちゃくちゃ好き🙌ヤッタネー

ベル 五所 真理子さん

まずはベルから!五所さんのこと勿論舞台上でしか知らないんですけど可愛らしい役をされていて実際可愛らしくて…こう、見ていて思うのは素も可愛らしい方なんじゃないかってこと。

もうずっと思っているんですがベルはプリンセスと言われて浮かぶ昔話・童話の王女様ではないですよね。町の娘のひとりであって大人しく王子様が現れるのを待っているタイプではないはずです。聡明でビーストをリードすることもある。ただベルはふわふわのドレスを着た舞踏会に出るようなクラシカルなプリンセスでもある。ちょうど過渡期のプリンセスなのかもしれません。

だからなのかは重きを置くバランスが俳優さんによる違いがあるように感じられます。CDで聞いているだけですが野村ベルの可愛らしさを持っている人は今なかなかいません。五所ベルはどれだけやんちゃな仕草をしたところで根底に野村ベルと共通する可憐な可愛らしさがあるように見えます。それはどれだけ貴重なことでしょうか。世の中のプリンセス像が変わっていっているとしても当然どんなプリンセスが好きでもいいわけです。五所ベルは王道クラシカルなプリンセスでもあり自分で道を選んでいく意志の強いプリンセスでもある。全てのプリンセスへの憧れを包んで叶えてくれるようなベルだと感じています!ただただすごい!

ビースト 小林 唯さん

そして唯ビーストよ…🙈いやいやいやいやキャスト表見なかったら信じられないくらい低めの野獣ボイスから王子へ戻ったあとの王子様ボイス…いやいやいやいや音域の広さ~~~~まいるわすごすぎるどういうこと?!

今までも唯さんはパリアメのアンリ?!ロボ庭のカトウ?!とまさかキャスティングが続いたので今回も予想していなかったデビューで大変驚きました!おめでとうございます🙇唯さんのビースト、こういう役を当たり役と言うのだと思いますね!

私は佐野さんが好きだから佐野ビーストの存在はとても大きくて私にとってビーストのベースです。城の使用人たちが言うように「良い人」だというのが「夕食に来て欲しいからだ!!!」と素直に言葉を発した時点で駄々洩れで万一私がベルだったらこの場面からエンディングへ跳べるくらい可愛らしさと素直さを知ります。わりと早々からベルによってビーストは変わっていき、変わった結果の先に『何かがおかしい』がある。

唯ビーストは最初から全然佐野ビーストとは違う。そこが私は最高に好きです!唯ビーストは”癇癪”を起してしまうが強めに出ていてベルが魔法を解く女の子かもしれないと思い紳士的に努めようとしても上手くいかず怒鳴り散らしてしまう。『何かが変わった』にしてもベルパートのあたりではまだ癇癪を起しています。そんなビーストがベルからの「ありがとう」によってあんなにクルッと態度が変わってしまう。らんま1/2のあかねがショートカットになっての「ありがとう。嬉しい。」みたいな世界の変わりようを感じる。そりゃあ世界変わっちゃうよね🙈かわいいもんねと微笑ましい気持ちと共にルミエール、コッグスワース、ミセスポットの立ち位置は最前列より最前列じゃん~~と思っちゃう(笑)いきなり王子様がベルにプレゼントを贈りたいなんて相談を素直にしてきたら泣いてしまいそう。もしかしたら王子様ははじめて自発的に相手のために動こうとしたのかもしれないよね。ご主人様のめまぐるしい変化たるや『人間に戻りたい』とぬか喜び爆発させちゃうのも仕方ない。

ちょっと先に触れたけど声の変化。登場は唸り声も納得の荒んだ低い声。次第に素直さは見え隠れしても声はまだ荒んだ低い声。『何かが変わった』からは途端に荒みが取れていく。ベルを愛しベルから愛された王子様はアラジンの歌声の高さくらいでイメージする唯さんの歌声。

つまりなんだと言えば唯さんはそもそも王子様だということです。でも私が佐野さんに感じていたような(それこそラウルのような)王子様ではなく、アラジンのように周りを引き込む才のある王子様。そこで今日は王子様にもいろいろあるんだというのに今更気づきました!そこが今回の大収穫です!観劇できてよかった~~

ガストン 酒井 康樹さん

前回は表情までは分からない席だったのでものすごくコミカルなお顔されてるんだなぁと知りました!キャラクターはベルの言う通りなのだけどどこか憎めない感じがあるの”実は良い人”なんだろう説を勝手に私はとってます。新演出の自分でバランスを崩し落ちてしまうラスト、誰しもそうですが一人で出来ることなんてたかが知れていて助けてくれる人が傍にいなければ足を踏み外してしまうんだなということを考えはしましたが流石にそこまで含んだ場面だとは思ってません。まだ新演出の金久ガストン未見ではありますがおそらく酒井ガストンは人柄の良さが反映されているような気がします。私の好きなタイプのナルシスト(笑)

ルミエール 岩崎 晋也さん

岩崎さんがどんな役をされていても岩崎さんご自身が舞台上、客席から好かれている愛されている方だと感じます。その魅力がルミエールに存分に生きていてルミエールが女性を好きなのと同じくらい寄ってくる女性も人間的に好きだなぁと思っていそうな感じがします。話聞いていてその通りだと思ったのは"人たらし"という言葉。ルミエールの役としては女性が好きだけれど岩崎ルミエールは男女関係なくたぶんみんな好きになってしまうよね🕯️笑

唯ビーストと岩崎ルミエールだと雰囲気は違うのだけど周囲の人々を惹き付けてしまうこと自体は同じで側にいて育った王子様なのがよく分かる気がします。

相変わらずどんな場面で見てもびっくりするほど格好いいな~~と思ってたはずなのに台詞を聞いているとめっっちゃくちゃかわいいな~~に変わっていくの岩崎さんマジックですよね(笑)

歌声の深みが増してらして日々の努力の賜物なのだろうなと勝手に思います。でも私が思うのだからなにか他の役でご覧になった方、皆さん思ってるはず。

コッグスワース 吉賀 陶馬ワイスさん

こそあどのトワイエさん見ても思ったのだけれどワイスさんのされる役かわいい。コッグスワースかわいいし振り回されてしまう苦労性なの見てて分かる!

岩崎ルミエールとワイスコッグスワースだとかわいい二人だから何してもかわいい(笑)

ダンサーさんが主要人物を演じる

クレイジー・フォー・ユー再演が迫っているから考えていたのだけれど私が観劇をし出した時、ほとんどCATSを観ていて初めてCATS以外で観た作品がCFYでした。その後もユタなど比較的ダンス演目と呼べる作品を観ていたからダンサーさんがなれる主役があまり多くないと気づいたのはわりと遅くなってからです。CATSで踊っているダンサーさんたちが他の演目だとアンサンブルになる。もちろん演目によって配分が違うのだしアンサンブルの素晴らしさは知っていますが単純にダンサーの主役、主要人物の役を数えるとそもそも数が少ない。これとても勿体ないことだと考えるのは自然なことなのではないでしょうか?

時が経って現在、美女と野獣に限らずどの演目でもダンサーさんたちが主要人物の役をされることが多くなりました。するとミュージカルだから歌で、台詞で物語を届るのに加えて身体の仕草が物語を伝えてくださるんだと四季の舞台を観ると毎回思います。こんな素晴らしい未来があるなんて昔の私に期待して大丈夫だよと耳打ちしたいくらい(笑)素晴らしいことです!

「人間に戻りたい」

ルミエール、コッグスワース、ミセスポット、マダムブーシュらがしている仕草と同じタイミングで仕草を広げたようなバレエをすることによって光景のクレッシェンドといいますか心象風景が透過されている感覚な新演出とても好き✨

醜い→見苦しい/みっともない/はしたない

見苦しい/みっともない/はしたない の使い分け

1「見苦しい」は、人の動作や様子が相手に不快感を与えたり、いらいらさせたりするさまにいう。

2「みっともない」は、人の動作や恰好(かっこう)が、普通人前では恥ずかしくてできないようなさまにいう。

3「はしたない」は、人の動作が世間一般の作法からはずれ、下品であるさまにいう。女性の動作について用いられることが多い。「見苦しい」「みっともない」が外見上からの評価を主とするのに対し、「はしたない」は言説や動作に対する評価が中心となる。

https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/2587/meaning/m0u/

老婆に対する王子の感情は不快で見苦しくみっともない容姿というところでしょうか?

王子の考える"醜さ"が視覚的な不快さ(見苦しさ、みっともなさ)だと魔法の"鏡"によって外の世界を知ろうとする度に自身の醜さと向き合うことになってしんどいだろうなって今日は感じました。

後々の椅子の上に足を置いて座るとか、スプーンとフォークを使わずに食事をするとか王子の考える"醜さ"にはルールを守らない"はしたなさ"は含まれません。

感想あれこれ

ブレイクフリーズのドアマット

それまでは全然別ジャンルを踊っていたのにという前提がありきのブレイクダンスのフリーズ(パッと調べた感じではジョーダンみたいなやつ)が挟まれると心臓きゅっと掴まれてしまいます、単純なので(笑)ドアマットかっこいい~~

思い出を分かち合う

マダム・ブーシュが王様もいたロイヤルオペラで歌った際のドレスだと話した時、思い出を共有しているコッグスワースを見て同じ時を過ごしている貴重さ嬉しさを感じます。先日のジョン万、猫友だというのもありますが北澤スキンブルを思い出すというお話を当たり前にして静かに感動していたので余計沁みるものがありました(笑)

「ガストン」

手でハート🫶をつくった時、ガストンにさらりと綺麗にウインクおくる水原さんがやはり流石だなと見ていて思います😂そのすぐ後にも面白いことされてたけど忘れてしまった💦

劇場の記憶:イマジネーション

ベル「働かせるの イマジネーションを」

ビースト「しばし忘れさせてくれる 自分が何かということを(ニュアンス)」

初めてアンフィシアターで観たのは朗読劇MARS RED(朗読を聞いて光景を想像する舞台)だった劇場の思い出が呼び起こされる。今も同じように想像しているのだと感傷的になります。

シュレック

シュレックを観たから美女と野獣を見たときに似た場面を思い出します。アニメはほとんど見ていないので舞台の印象で話します。繰り返しですが美女と野獣が作られた当時は王子様の助けが来るのを待つプリンセスが王道だったかもしれない。けれど読書家で聡明なベルは町の娘でプリンセスではないし自分の考えで動いていく印象があります。アニメは一人だけで作っていないから単純に考えすぎているかもしれませんがシュレックをつくれる人だから美女と野獣のベルが生まれたのでは?とも感じるのですがどうだろう??

"個性を受け入れる"場面が双方にあって美女と野獣の図書館*1があまりにも静だったから私が思い出したシュレックのFreakflag*2の動と真反対だなと思って。Freakflagってほんと不思議なナンバー。なんであんなに同調圧力があるんだろう?

シュレックは隅々まで計算されている作品なんではないか?と感じるのは思い違いだろうか?気づいて考えるほどセオリーが否定される気がする。

 

*1:「人と違うってことが分かるの、それがどんなに孤独かということも」から「アーサーが王だ」文字を読めず知らなかった本の楽しさを通してベルとビーストが心を通わせる図書館の場面

*2:Freakflagは"ありのままの俺を受け入れろ"とシュレックに意図はなくてもガストンのように扇動する結果になっている