珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

劇団四季 The Bridge ~歌の架け橋~-2021/01/27-

2021年1月27日(夜)公演  
JR東日本四季劇場[春](浜松町・竹芝)

 

キャストさん
飯野おさみ 立崇なおと 分部惇平
山下啓太 佐久間 仁 吉田功太郎
鈴本 務 ツェザリモゼレフスキー 千葉晃大
早水小夜子 坂井菜穂 小島光葉
松元恵美 山崎遥香 近藤合歓
杉野早季 牧 貴美子 森田美穂

 

 

 


前回も思ったけどお顔は分かってる、だがしかしお名前が分からない💦

ただそれでも素敵だったと思う、ここに劇団四季らしさを感じるとも言えるかも!

 


その人がいると作品を感じる方というのはいて

青山さんがサークル・オブ・ライフを歌えばそこはサバンナになる。

音楽がなり、早水さんが後ろに見えると

とても夢から醒めた夢を感じるものだなと思いました。

 

早水さんのアンダー・ザ・シー、私とても好き_(:3」∠)_

こんなにも心地よく、歌が響くって凄いなぁ…とただただ感動する!

何回も何回もというより一番見てるグリザベラだと思うけど

やっぱり知った“つもり”だったのだなと思います🙈はんぱない

 

 

前回から引き続きだから多分合ってると思うのだけど

小島さんの綺麗かつエネルギーに満ちている踊り、

舞台上での存在がとても映えていて気になります!

可愛くも格好良くもあって素敵です✨

 

 

夢醒めのリフトは振りだけ見るとパリアメっぽかったりするのかな?

ツェザリさんがされてることでよりパリアメのように見える気がする…

ツェザリさんの足先の伸ばし方、曲げ方、首の傾け方、

指の伸ばし方、胸の反らし方などなどエレガント極めてる✨

 

「ワン」の扇、バレエの所作やキメ方から

とても映画オペラ座のマスカレードを思い出してました🎭

 

去年の猫リハ見でマイクチェックの「地獄さえも友達は」

貴重な歌声だったなと振り返っていたところだったのでブリッジは喜びが多い🙌

 

ウィキッド「自由を求めて」、

“ルールに縛られ生きてきたけど”のように抑え込んでいる感情をイメージさせる踊り、

直接的に何かを示しているわけではない振りでの表現がとても素敵で

もっと見たいな〜と思いました!

 

 

坂井さんのまっすぐ通る気持ちの良い歌声はエビータ、

特にこの田舎からブエノスアイレスへ出てきたエビータの歌声に合っていて高鳴る!

「ねぇ 私をたすけてね 名誉と成功とを」

何がなんでも生き残ってみせるという野心がいい〜!!

途中にエバが指を伸ばして指輪を眺める仕草を見て

「虹の如く」も入っているのかな?と思いました。

映画エビータの「スーツケースを抱いて」と共に都会の厳しさを味わったように

ブエノスアイレス」のエバもレインボーツアー前のエバと同じ行動はしているだろうし

多重に光景が見えるのはいいなと思います。

 

 

オペラ座で気持ちが噛み合っていないことを

わざと不協和音にして表現しているから明確にその音を出さないといけない、

みたいな記事があったと思う。

だから音が混ざりあっていないのを聞きたいという意識があります、

自信持って分からないのが残念なんですが💦

アルプの佐久間さんインタビュー読んでから

役の深め方・向き合い方が真摯で素敵だなと思っています。

佐久間ファントム、歌声だけでなく表情や身振りからも心情が伝わるようだったから

私がそこまで詳しくないのがとても惜しい💦

そういえばガーシュウィン続きのあたり、

スーツに柄シャツがポップで可愛らしくも格好良い立崇さんと

スーツモデル?と思うくらい似合ってらっしゃる佐久間さん流石だなと思いました!

ジョン万、清水さんはとても侍を感じて(なんでだろう?)

佐久間さんは作品の雰囲気らしい空気だったなと私は思います🐳どちらも好き!

そしてジョン万見たい(笑)

 

 

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』

ベンとタングが見えはするのだけど

振付の印象は具象と抽象の間かな?と感じています。

“右足を少し上げて伸ばすのに合わせ、両手も足先へ向けて伸ばす”

この仕草からリトマの『一歩ずつ』より「少しずつ 分かり合える」と浮かびます。

 

 

「メモリー」を歌うのは坂井さん(グリザベラ)と牧さん(シラバブ)

早水さんの前で歌うの分かった時、見てるだけなのに緊張してしまう(笑)

プレッシャー半端なさそうです〜

「この夜を 思い出に渡して 明日に 向かうの」

CATS「メモリー」より

「得たものをいつも次の夢に賭け

  こわしながら築き 築きながらこわすからこそ

  幻の塔は 果てしなく高く 月への道は 果てしなく遠い

  だから 猫たちは 永遠に青春なのだ と」

ハングリー・キャッツ より

この決意の流れを聞くとアルプに猿之助さんのお話が載っていたのを思い出します。

そこで新作を作り出すことについて指摘されていたはず。

 

 

「ほんとうのことば
  ほんとうの声
  ほんとうの音
  ほんとうの色とかたち で
  築かれる 大いなる幻
  鳴りひびく 大交響楽」

ハングリー・キャッツ より

この部分を聞くとACL「愛した日々に悔いはない」“すべてを捧げ”の歌詞を思い出します。

市村正親・石丸幹二ら、演劇に“すべてを捧げ”た浅利慶太偲ぶ「母鴨のように」 - ステージナタリー

 

 

 

浅利 日本で、長嶋が巨人に復帰するというニュースが大きな話題になるのと同じようにニューヨークは新しいミュージカルの出現がみんなの注目の的になる。日本ではどうしてそうならなかったんだろう。
 僕は作り手の怠慢だと思う。本当にお客さまが望むものを作ってこなかったり、見やすい興行形態を工夫せずにきたからだよ。お客さまのことを本当の意味で考えてこなかったせいだ。僕の父より上の世代はもっと客席を大事にしてたと思う。尾上松緑さんといっしょに仕事をさせていただいたときにもそれを感じたんだ。
 日生劇場サルトルの『悪魔と神』をやったとき、松緑さんにゲッツの役で出ていただいた。松緑さんは「浅利さん、きょうの見物のご機嫌はいかがですか」とお聞きになるだ。“観客の反応”じゃなくて “見物のご機嫌”なんだよ。そういう客席への姿勢が今は失われてる。
安倍 「きょうの見物のご機嫌はいかがですか」ね。日本語としても実に見事な表現だ
浅利 英語だったら、自分の芝居のことをなんて言う。たとえばロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの演出家が言うとしたら……
安倍 英米の演劇人たちはショウという言葉をよく使うね。ショウというと、舞台芸術のなかでも軽い分野のものを指すと受けとられがちだけれど実際は違う。この言葉を日本語に訳すと、いちばん適切なのは見せ物だ。シェイクスピアもミュージカルも基本的には見せ物なんだよ。お客さまに喜んでいただくという点ではね。ショウという言葉には、「はい、大芸術でございます」という大上段に振りかぶったニュアンスはまったく感じられない。
浅利 そう、あくまでも“マイ・ショウ”であって“マイ・パフォーミング・アーツ”ではない。僕は、自分の舞台をショウと感じるその感覚が大事だと思うんだ。 見物が観客になり、芝居が演劇になったときから堕落が始まったような気がする。
安倍 ショウで思い出したんだけれど、ショウ・ビジネスという言葉があるね。日本の現代劇、とくに新劇はアートに片寄り過ぎてどジネスを忘れてきた節がある。不遜にアートを自負し過ぎることも困るし、アートをないがしろにしてビジネス一辺倒というのもまた困る。先に挙げたジュヴェのアフォリズムに一脈通じていることだけれど、演劇人はアートとビジネスの両方に目配りをきかせなければならないわけだね。そのことを自覚し実践している点で、あなたは現代演劇界では希有な人だと思うよ。
浅利 これからもジュヴェの言葉を支えに、「恥ずべき崇高さと偉大なる屈辱」のはざ間で演劇運動をやっていきますよ。そして“当たり”をとって、次の時代の人たちのために道を切り開いていきたいと思ってる。

 『劇団四季MUSICALS』

浅利慶太ロング対談「恥ずべき崇高さ、偉大なる屈辱」

“偉大なる屈辱”を越えて 「見物」と「観客」より

今回のBridgeをショウと呼ぶ、その心はここからなのかもしれないと思って

対談一番最後のページから抜き出してみました。

この「見物」と「観客」というのは分かるようで分かりません。

私が思っているものだけれど俳優さんは私の感覚で秘めておきたいと思う感情でさえ

それまでの蓄えを元に全て舞台の上で曝け出されている印象があります。

こう今書いていると観客などではなくそれを楽しみに見るものとしては

見物なのではないかと思えてきちゃう、簡単だから。

コロッセオがどういう施設なのか聞けば

それを楽しみにするなんてという心が生まれますけど

残酷さでいうと舞台も似たような意味もある気がします。

 

ハングリーキャッツの「ノン」ではなく、

この少し前に書かれていた中に人生に「ウィ」と答えるというのがあります。

「ウィ」と答えるのに生まれる澱みをショウによるカタルシスで精算する。

綺麗ごとではすまないそんな舞台の世界の片鱗もありますよね。

即座にウィと答えたさ!