珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

ミュージカルジャージーボーイズ-2022/10/6- GREENプレビュー

2022/10/06(木)ソワレ

日生劇場

 

脚本:マーシャル・ブリックマン&リック・エリス

音楽:ボブ・ゴーディオ

詞:ボブ・クルー

演出: 藤田俊太郎

 

キャスト

フランキー・ヴァリ花村想太

トミー・デヴィート: 尾上右近

ボブ・ゴーディオ: 有澤樟太郎

ニック・マッシ: spi

ボブ・クルー: 加藤潤一

ジップ・デカルロ: 山路和弘

ノーム・ワックスマン: 戸井勝海

メアリー 他:綿引さやか

ロレイン 他:小此木麻里

リード・エンジェル 他: 遠藤瑠美子

フランシーヌ 他:ダンドイ舞莉花

ハンク・マジュースキー 他:大音智海

ストッシュ 他:山野靖博

ジョーイ 他: 若松渓太

ドニー 他:杉浦奎介

フランス人ラッパー 他:岡施孜

スイング:宮島朋宏

 

あらすじ

はじまりはニュージャージー州の貧しい片田舎。

“天使の歌声”を持つフランキーは、成功を夢見る兄貴分のトミーとニックのバンドグループに迎え入れられる。早速3人での音楽活動をスタートさせるが、フランキーの歌声をもってしてもグループには未だ何かが欠けていた。

鳴かず飛ばずの日々が続く中、作曲の才能溢れるボブが加入する。フランキーの歌声に魅了されたボブは、その声のために曲を書きたいと思うのだった。しかし金もコネもない彼らを待っていたのは過酷な下積み生活。そんな中でも彼らは自分たちの音楽を磨き、それぞれの才能を開花させていく。そしてついにボブの楽曲と4人のハーモニーが大物プロデューサーの目に留まった。彼らは「ザ・フォー・シーズンズ」としてレコード会社と契約し、《Sherry》をはじめとする全米ナンバー1の楽曲を次々と生み出していく。ヒット曲につぐヒット曲、長期にわたるツアーで、家族を顧みずに酒と遊びを繰り返す日々が続く。富も名声も手にしたはずの4人だったが、輝かしい活躍の裏では、莫大な借金やグループ内の確執、家族の不仲など、様々な問題が勃発し、彼らの固い絆を蝕んでいった。それらはやがて取り返しのつかない大きな軋轢となり、グループを引き裂くのだった。

成功と挫折。あまりに劇的な春夏秋冬を駆け抜けていく4人がその先で見たものとは―。

youtu.be

日生劇場 ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』

natalie.mu

 

 

ジャージーボーイズ プレビュー公演観てきました🎙️

 

複数の方向から眺める

一人の人生を見ていく作品(=エビータ)だと表裏の二面性という感じだけれどフォーシーズンズは4人だからより多面的に見つめられるの楽しいなぁ~と思う☺️田舎から抜け出す方法のひとつ"スターになる"これは女性にとっても同じでマガルディがエビータに踏み台にされたように男性歌手に近づく女性はいたのかなと思っちゃう。ラジオでスターになるというのも同じだなと思ったしRadio Ga Gaで言われるようなラジオの力を感じる。
フォーシーズンズを聞いてくれたのは一般大衆(労働者、兵士など)だったと聞いてエビータのペロンが民衆を味方につけることに対して"操りやすく燃えやすいがすぐ冷める"と危惧していたのを思い出しました。実際はどうか分からないけどこのジャージーボーイズの物語ではロックの殿堂入りの場面で一般大衆に愛されていてグッときました😭再び集まったフォーシーズンズはキラキラしていて私はカラスではないし、カットされたキラキラした宝石には昔から心惹かれないけどキラキラした人を見るのは好きだな~~とシンプルに思った。

 

思い出を分かち合う孤独

私は横浜CATSからハマって好きになったから横浜CATSがなんだかんだいつまでもベース。CATSが好きという人でもいつのどこのCATSが自分のCATSかは違うんじゃないかと思うけどどうでしょう?終わってしまった公演は甦らないから思い出を共有出来る人は減っても増えることはない。この体験はいち早く歳を取って孤独になっていくのを体感してるんだといつも思っています。話を聞いてくださる方は有難いことこの上ない。けれど話を聞いてもらいたいのではなくて同調して欲しい時、例え見ていたとしても忘れてしまったら話せない儚さ寂しい。

(ラウルがクリスティーヌと共にいても心には音楽の天使がいつまでもいたように)ずっと共にいるのにボブゴーディオにはなくてトミー、ニックには共有されているものがあるんだろうと感じる。もう60年くらいずっと一緒にいて事あるごとに電話してる幼なじみのお二人と焼肉したことあるんだけどどんなお話できるかな?と思いつつ席座ったらほぼほぼお二人がノンストップで話続けるから私は美味しく焼かれたお肉を食べるだけだったのを観ながら思い出していました🥓笑 そういう立ち入れない仲なんだと感じます。ロックの殿堂入りした時のように実際に集うことも叶わない。冬の期間にないものを存在させるのが舞台なのかもしれない。タイトルがジャージーボーイズだし。

 

コンテンポラリー?叙事的+劇的

三段の舞台
上段に鏡あり、椅子四脚
中段はフォーシーズンズのネオン
下段は街角や楽器が並んでいる
楽器や服は上下それぞれに寄っていてセンターは空いている

最上手下手にある開演前は客席を写しているブラウン管テレビがコンテンポラリーと思うのはダンス公演で見てるからかも。

コンテンポラリーの意味はファッションとダンスではどう違う? | | Dews (デュース) (dews365.com)

コンテンポラリーだと演出見て感じたのはコンテンポラリーダンスで客席が映る(Noism1_ZAZA [digest] - YouTube)、カメラで映す(Noism0『夏の名残のバラ』https://youtu.be/1IrSRfRCZgA)を見たことがあるからなので所謂コンテンポラリー(=現代的)ではないんだろうと思って。音声のみのラジオからカメラを使う映像へ移った世界。

主にドイツの演出家・劇作家のベルトルト・ブレヒトによって探求された演劇のあり方。報告や叙述を行なったりコーラスや映像によって註釈をつけたりする第一次世界大戦後のドイツで試みられた演劇のやり方を「叙事的」と称するところから発展した。叙事的演劇は、劇的な演劇とは異なり、非アリストテレス的である。観客を舞台のアクションに巻き込み感情を湧かせる演劇の劇的形式に対して、叙事的形式は観客を観察者にするのであり、また観客に目の前の出来事への理解を委ねるところに特徴がある。したがって、叙事的演劇は「アリストテレスのいわゆるカタルシス——すなわち、ヒーローの感動的な運命に感情移入することをつうじて、情緒を排出し、解消すること」(ベンヤミン)を取り去って、筋の展開よりもヒーローの置かれている状況を描き、この状況への驚きを観客に求める。観客に状況を発見させるために劇の流れを中断させる。その中断のために用いられたのが、異化効果である。具体的には役者に社会的身振りの引用を行なわせることで、異化効果は社会的身振りを意識化し、それによって観客は通常とは異なる文脈のもとでその状況を反省するよううながされた。

叙事的演劇 | 現代美術用語辞典ver.2.0 (artscape.jp)

叙述的演劇と異化効果
 それまでの演劇は、カタルシスにより日常に感じたことを発散させるがゆえに、批判的判断力を失わせるとブレヒトは考えました。カタルシスを目指す演劇では、舞台と観客を同一化させることを目的とします。
 これに代わり、出来事を客観的・批判的に見ることを観客に促す叙事的演劇を提唱した。
 その方法の一つが異化効果です。これは、見慣れたものに対して奇異の念を抱かせるものです。異化効果では特に、文字や音楽を活用して、観客の感情移入を生じさせない舞台を作り出します。

ベルトルト・ブレヒト (rinnsyou.com)

あとこないだピピン見た時に知った叙事的演劇を触れたから思い出してみる。撮影をすることによって狂言回し不在・その役割をカメラが担うようにも見える。でもジャージーボーイズは観客の感情移入を生じさせないどころか4人に感情移入する作品に思える。だから冷静に物事を見つめつつ、登場人物にも寄り添ってると私は思います。そう考えると組み合わせが新しいのかもしれません。

 

結局好きにせよってのがたどり着く先なのかなー

初演JCSコン、舞台上から拍手を求められ素直に拍手する方と私は演目を味わいにきたので拍手は結構ですと断固しない方とで作品への思い入れと意思の強さが印象的でした。そこまでではないにしろ今回の客席も拍手への考え方分かれてるなと思っていました。こちらが観客になる場面は拍手すると一体感あって楽しいから一概にしない方がいいとは言えないけど心地良さに浸りたいって気持ちもあるからこういうのは難しい。観客がリピーターで煮詰まりすぎると拍手・反応が決まってくる。そういう公演は圧があって監視し合うピリピリした雰囲気。素直な反応に対しての不寛容さは委縮させて観劇の楽しさを損なうよね。だんだんと良い塩梅で舞台楽しめると良いなあ。

 

春のニックが好きだというお話。

個人的には春のニック・トミーから見たニックが好き。何がって言ったら若くてめちゃくちゃかわいいから(WSSディーゼル的なかわいらしさ)。トミーがニックをおぼろげにしか見ていない時、あんまり頭使っていない若者に見える。というのもものすご~く楽しそうに踊っている姿が印象的。ハーモニーの○○(褒める言葉)と言っていたようにトミーにとってニックは俺の意見に従い調整するヤツという認識に見える。ジョーペシから聞いたように例え思惑が違うところにあってもトミーは気づかないのだから。

映画一度しか見てませんが映画ニックはニックの意思でフランキーを教会へ連れて行っていたと思っていました。だからナレーションはトミーによってなされていたけど目に映る光景は客観的にフォーシーズンズを見ているようでした。

映画ジャージー・ボーイズ - 珈琲とmilkのパーセンテージ (hatenablog.com)

対して舞台では明らかにトミーから見たニックがいて春はトミーが面倒見ろと言ったのに"従った"からそこだけ鮮明(これニックにとってトミーがクライストな感じに見えるのか事実そうなのか全く違うのか)、夏はボブにとって"個人的にはじめてのこと"だったから共に楽しんだ"親友"のニックが出てくる。冬ではなぜニックがフォーシーズンズを抜けたのか分からないフランキー。そしてグループを抜けた後も近くの公演に足を運ぶニック。しかもフランキーに呼ばれて舞台に上がって歌うんだものな~~フランキーからしたらじゃあなんで戻ってこないんだろう?となるよね。一度離れても心配な気持ち、自分がいなくても成り立ってしまっているのか?様々な感情込みで足を運ぶんだろうけどもライブでは本心を隠してしまうニック切ない。

フォーシーズンズとして形が保てるのはジャージーの考え方含めたトミーの思考、フランキーの素直さと鈍感さ、ボブのビジネスセンスと冷たさ、それぞれが譲らずぶつかり合う場面でニックがやんわりと全体を調整しているからなんだと感じる秋。いざニックがぶつかろうとする時に助けてくれるニック役はいない。自然とハーモニーを奏でられるよう立ち回る考え方ゆえに縁の下の力持ちってやつかなぁ。そしてどんな人でもなにも考えず動くわけじゃないよね。

夢見てる部分もありますけど家に帰りたいと言えるほどニックは家に居場所があるんだろうなと思う。子供たちが傷つかないよう嘘をついたように、母親だけでなく奥さんにも本当のことを言わずに作り上げた居場所なのかもしれない。最後に亡くなったのがクリスマスだった敬虔なキリスト教信者だったというようなことをフランキーが話してたと思う。ちょっと考えてみて家族に話せない本心をグループに、グループで話せない本心を家族に話していたとしたら辞めた後に本心を話せるのは教会だったのかもしれないまで浮かんだ。まぁだいぶ夢見てますけども。

spiさんの重奏は柔らかく空間に広がって耳に届くから心地良くて好き。フォーシーズンズのニックの声は支える包むだけでなくアクセントにもなる。spiさんニックだから各々自由なところもあるだろうし頼もしくて格好いい。動きやすい伸びのびできるのは素晴らしいことだよね✨

MUSIC FAIRトークで有澤さんが質問するような拠り所なのだろうかと思ったり🤔まとめたり、印象付けたりああいうのニックなのかな~と勝手に思うわけですが。

ジャージーボーイズ開幕前メディア - 珈琲とmilkのパーセンテージ (hatenablog.com)

秋になってキレながらも最後までグループのために言葉を尽くすニック。後々からジャージーボーイズが作られた時にニックは既に亡くなっていたと読みました。フランキーとボブゴーディオはニックの存在の大きさを二人で音楽をしていくにつれ知ったのかな?というのと逆に亡くなってしまったら作品内に悪口含めて出すことだって出来るのに良い描かれ方をしてるのはパンフレットにもあるようにフランキーだけでなくボブゴーディオもニックを好きだってことなのかな?愛されてる🤗
ニックが言った通りだの身体を洗う小さい石鹸、花村さんフランキーからはただ石鹸が小さくなっていったと感じたからどんな規模のどんな田舎の小さな仕事も受けていくの意味が多重に強まった気がしました。あの台詞はグループが小さくなったの意味合いも含められる台詞なんだろうか??トミーがラスベガスへ、ニックが抜けた後にフランキーがジャージーらしさを共有する相手はいなくなってしまったんじゃないか。秋のフランキーがトミーの借金を返していこうと考えるのとトミーを切り捨ててしまおうと考えるボブゴーディオには大きな差がある。そこの溝はファントムとラウルくらい埋まらなさそう。

正確に覚えてないけどニックが「俺も自分のバンドを作るか」とこぼす時にグループへ引き戻すのはいつもトミーだったかな?

Ringo Starr (リンゴ・スター)|プロフィール|HMV&BOOKS online

リンゴ・スター|【超詳細解説】ザ・ビートルズのドラマーに最後に加入した第4の天才 カルチャ[Cal-cha] (ticketjam.jp)

ビートルズ詳しくないからリンゴ・スターだったら?も調べたところで(ニックが嫌なのは分かるんだけどそんなに嫌かな?という個人的感情も含めて)いまいちしっくり来ない。ただビートルズ世代っていつなんだ?と調べたら日本では洋楽自体マイノリティだったと見かけてそんなに知られている音楽だったわけではないのか…なんて思ってる。後追いでも比喩分かる人はそれがいいし、分からなくても生・舞台で体感してるのかもと思える(分からないけど知りたいからそう思いたいでもありますけど)。

 

客観的相関物の欠如

T·S·エリオットとボブの口から出てくるから一気に心の距離縮まる(笑)私は何度読んでも観てもエリオットの詩全然分かんないけど。エリオットの名前を出したのは「客観的相関物」と言ってたらしい。

「男らしく歩け」が分からないトミーにボブ・クルーが比喩でしょと伝えてくれる。それが印象深かったからニックの主張全体が比喩なのになぁと思っちゃう。

ニックの独白が比喩なら客観的相関物に関係してるかも?と思って調べてるけど付け焼刃では全然分からない。ハムレットに対するエリオットの批評、客観的相関物の欠如は関係ないのかな?

最初に書いた『ハムレット』のことは芸術的失敗作で、その理由は何かというときに、1番目に、objective correlative、こんな言葉を使ったのはエリオットしかいないと思いますけど、翻訳すると客観的相関物の欠如だと言います。非常に簡単にいうと、芝居というのはいろんなエモーション、感情が描かれるけれど、それには悲しみや喜びがあった場合、それに対応するだけの客観的な事実がなければならない。例えば、これだけ主人公が悲しんでいる。何もないところで悲しんでも観客には何も伝わらない。愛する恋人に死なれたという事実があれば、これだけ悲しんでいるとわかる。それが、objective correlativeという言い方になるわけです。ハムレットは出てくるなり、自殺したいと言う。自殺願望の原因、客観的事実は何かというと母親の早すぎる再婚だと、そんなことで自殺するほど悩むかどうか。つまりハムレットには客観的相関物が欠けているから芸術的失敗作だと言っている。

講座・展示|新国立劇場について|新国立劇場

今書きつつニックがトミーと同室だったこと、バスルームの使い方に怒り出す"怒り”はフランキー、ボブゴーディオにはなんでそんなことで怒っているのか?という感情の出所が不明・客観的相関物の欠如に見えたんではないか。

2番目に、先ほどの1幕3場のポローニアスの説教は、『ハムレット』のテーマにとってirrelevantだと言う。無関係ということですね。要するにむだということです。それに対して、F.ファーガソンがポローニアスのエピソードを擁護した。彼は、Idea of the theater『演劇の理念』の中で、ポローニアスの場面は『ハムレット』にも“Father and son relationship”父と子のテーマがある。もちろん母親と息子の関係もあるし、オフィーリアとの関係、ホレイショー、友人との関係もあるけど、そのなかでも一番重要なのはFather and son relationshipだと。その“comic variation”(喜劇的なバリエーション)としてポローニアスの息子への説教というのがあるんだと擁護した。ただね、観客として『ハムレット』を観ていて、ポローニアスの説教する場面を、これはハムレット父子のテーマのcomic variationだなんて思う人は、まずいませんよ(笑)。文学作品として分析すればそうなるけれど、芝居としてはそうじゃないと思う。せいぜい、「あの説教を俺も親父に言われたことがある」と思うぐらいじゃないでしょうか。

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フランキーが今は関係がないじゃないかというようなことを言ってニックの話を終わらせようとする。グループの話にバスルームの使い方の話は無関係だというのもエリオットのハムレット批判のようだと感じます。

感じるとはいってもこじつけかもしれない。なぜなら私は客観的相関物の欠如がまだよく分かっていないから。例えこの文章読んだ方がいらしたとしても信用しないでください。

 

慰めたくなる庇いたくなる放っておけないトミー

レコーディングするお金がないとボブ・クルーが言ったからお金を借りてきて解決しようとしたトミー。あの行動を見るとニックがトミーと一緒にいるの分かるなと私は思いたい。"仲間・家族"を大切にする気持ちや行動を自然に取るトミーをニックは憎んでおらずむしろ好んでいたと思うから。そしてニック以外にはただトミーが頼んでもいないのにお金を借りてきたとしか映らない。だから夏が終わるんだろうなぁ。そういうのはトミーが「男らしく歩け」が理解できないのに対する反応にも感じられると思う。分からないと話すトミーはとても素の部分を出している気がする。分からないことに寄り添わず馬鹿にするの無意識だったとしてもトミーが嫌がる物言いなんじゃないかって想像できると思う大切にしていることを的確にないがしろにしていて印象が悪いです。居心地も悪いし。ただそれを音楽のハーモニー・心地良さで流してしまうから浄化されたような気になってしまう。ボブゴーディオを体感するよう。このカタルシスとは - コトバンクはライオンキングのシンバが言うハクナマタタのように向き合わなければならないことから目をそらす作用みたい。

春って思い出の美化を見てる気持ちになるけど合ってるよね?トミーの自我が強くてフランキーとの関係性を含んだトミーを大切に語っているように思うから。

野うさぎの一瞬、歌舞伎の所作をキメることで右近さんのトミーを見たと感じて満足感あるのすごい!右近さんの跳躍力印象深い。

トミーを見ていて「運動会で使ったバンダナ、洗わない頼まないでおいて朝になってから学校からの借り物って言うんだよ」とキレまくってた方を思い出しました。トミーはプライド(という言葉で正しいかな?)ゆえに打ち明けられないのかもしれない。私は不安材料あるままではいられないから自分がきっとこの先も考えないだろう思考を見ているな~と感じる。やばいと知りながら普通に生活できるのはなんで…と思いかけてリハーサル休みがちになってたの思い出しました。その影響か分からないけれど心に影響しているものはあったのかも。自分の中にはその思考がなくて分からなくてもそういう人がいるんだなと知れるのは舞台の良さであると思う。トミーが皆が知らないうちに多額の借金をしていたのもニックがトミーに頼っているからというのもあると思う。精神的に頼っている部分あったんじゃないか。

砂漠の中の街「ラスベガス」が世界一の歓楽都市になった理由 | tabiyori どんな時も旅日和に

ラスベガスのカジノの歴史!マフィアとの結びつきや発展の経緯を解説 | カジリゾnavi

https://t.co/BiMWF7eAjW

ラスベガスがネバダ州にあると知らなくてクレイジー・フォー・ユーよく分かってなかったんだなと思ったのが印象深い。そしてまだまだやっぱりよく分かってない。

トミーが飛ばされたラスベガスはどんな状況だったのか分からなかったけどカジノ経営にマフィア参入くらいかな?あと蛇の道すぎて分からないのがトミーの命を狙ってるのはどういうやばい人なの?だからマフィアが守れる場所へ行くの?分からなくて良いことなのかもしれませんが薄暗くてヤバいんだなとウシジマくんを見た時くらい思ってる。

 

ジップ・デカルロの生き方

山路さんのジップはなぜ言葉をこぼすようなこの声が明確に届くのだろうか??ととてもとても不思議。あの声なんであんなに聞こえるの?
あたたかな話し方と従うしかないと理解る冷静な詰め方。ジップさんは"家族"を大切にしている。最初から"家族"を大切にするフランキーを見抜いていたように。

私は山路さんマイカ(女王がいた客室)が大好きなのだけどJBでは同じ体験を共有する友達・家族・仲間は出てこない。舞台上では割愛されているだけでそういう存在がいるのだろうと勝手に考えられるだけ優しさと穏やかさを感じる。

 

ジャージーボーイズの女性たち

ジャージーボーイズで描かれている女性は聡明でしたたか。男性優位社会で生き抜くためにどうしたらいいか分かりすぎるほど分かっている女性たちで頭上がらないよなあ。そして理解しすぎてて切ない。こういう方々がいたから今の私たち(男女共同参画社会)があるし、逆にこういう生き抜き方をしているから今の私たち(ハラスメントをされる)にも影響しているとも言える。よくも悪くも影響される。トミーに迫られて冷静に対応してそれを笑って話す。始まりはフランキーだって同じなのだから幾度となく自分を軽く見積もられる誘われ方されてるんだと分かるとめちゃくちゃ気の毒。嫌だなって顔してる場面ないけど記者が仕事だから利用して近づいてもいるんだろうなぁ。男が利用しようと近づいてくるなら女が男を利用してもいいよね?って考え方かな。強い。

 

これから広げたい感想

しっかりとああこの人はヤバいと思えて、次第にこの人がいるから助かっていたと思えるのにも違和感がないノームなの素敵~~!

・傘を使ったダンスって雨に唄えばが偉大すぎるんだなぁ。回ってたのはセットの柱だった☔雨に唄えばダンスの方の顔覚えたぞ~~と思って帰ったのにパンフ見たらどなたか分からなくなっちゃった😭

日生劇場の螺旋階段、支えが少なさすぎて格好いい。美しい。劇場の色んな所が楽しい。

サッカーだとそりゃあそうだなぁと思うことも野球だったらなんの話?ってなるから分からない方もいるだろなと思って。これなんでこの例えなの??

 

 

 

しょにおめ

おめでとうございます!

このまま駆け抜けてください🎤🎤🎤🎤