2024/04/21(日)マチネ
キャストさん
ジーザス・クライスト 神永 東吾
イスカリオテのユダ 佐久間 仁
カヤパ(大司教) 高井 治
アンナス(カヤパの義父) 吉賀 陶馬ワイス
司祭1 佐野 正幸
司祭2 中橋 耕平
司祭3 真田 司
シモン(使徒) 大森 瑞樹
ペテロ(使徒) 辻 雄飛
ピラト(ローマの総督) 山田 充人
ヘロデ王 劉 昌明
【男性アンサンブル】
鈴木 貴雅 田口 暉 磯江 拓也
姜 大舜 佐々木 玲旺 永瀬 俊秀
鈴木 智之 松尾 篤 安斎 恵太
愛染 洸一 武藤 洸次 寺内 淳
【女性アンサンブル】
坂井 菜穂 黒田 果穂 川田 菜々子
高倉 恵美 安宅 小百合 廣本 則子
片倉 あかり 濵嶋 紗穂里 山田 志保
佐田 遥香 古森 麻由 立花 梨奈
はじめての京都劇場 pic.twitter.com/TUluOBut4x
— 明音 (@akane_akaruioto) 2024年4月21日
今までぼんやりとJCSで人気なのはシモンなんだろうと信じて疑わなかったのだけどもしかしてユダジーマリアとか?曲のスカッと具合が好きすぎるからそう思ってただけなのだけどメインどころに皆心が向くんだなと思った次第。
直近から振り返ればカテコの佐野さん横揺れかわいい□と思いました。坂緩やかだけど定位置に戻るタイミング見計らってる高井カヤパは相変わらず微笑ましさ。カテコ皆さん身体で音楽にのってる感じですけどあの一際腕ぐるぐる回してる民衆の方、ノリノリで楽しい(笑)腕突き上げる時の手は✊なのか🤏🫰なのか自由なのか。(腕突き上げる時というのはカテコのユダ先頭のやつ)
改めてゲッセマネの自分の限界まで「見てくれ 私の死に様」と歌いきるギリギリ感。父なる神への問いかけた答えを自ら見つけ出した苦しさと想いの定め方に圧倒されます。
凄いと知っていたはずの神永ジーザスはいつも想定を超えて心動かされる。今回も生ききる力強さたるや。最期まで生きてる。
不思議だよね、なぜ歌えるのか。声の限り歌いきっていると目の前で見てそう思うのにそのあとすぐジーザス歌い出してるから。ゲッセマネ(曲)がジーザスを演ずる方に課されるものの厳しさは半端じゃない。満足したアリア(だっけ?)だとしてもとんでもない。でも生み出してくださりありがとうございます。
知識や語彙の無さから的確な表現が探し出せないのですがゲッセマネなんか演歌みたいなお声が増えたよねとお話して。なんとなく聞いていて人間みが増した印象になる気がします。綺麗なこの人が綺麗だけではない音波の荒みといいますか。怒りがあるわけではないのだけど。
JCSを観て冷静でないと痛感するのは私自身のさじ加減で大きく心象が変わると実感するからです。捕えられたジーザスが自由では父なる神に心が向いて覚悟を決めた安らぎのお顔にも見えていましたが、京都は定めを知りながら使徒たちを見つめ、ひとつひとつ裸の心に痛みを受け止めているかのようだなと。
京都は全国ツアーの舞台セットなのだと思うのだけど荒野の傾斜が緩やか。「やりなおすことはできないのですか」背景の光明も、ユダ穴を指し示す赤も自由より穏やかな光に見えてなんとなく見覚えがある印象を持つ気がします。
京都を観てみると自由劇場のためのJCSセットはいかに四季がエルサをどう見せたいか反映したものなのかが分かる気がします。舞台セットが過酷だよね。
カヤパ一同の「ジーザスは死ね」、響きの歌声の司祭たちだったからひとつのハーモニーとしての心地良さが凄くて格好良かった🙈佐野さんが低音を一人にさせないからこその良さ、たぶんあると思います!
広辞苑にも載ってる話ではありますが佐野さんがタイトルロールなどお一人立たれる時ははっきりされてるのに、共に歌う場面のひとまとまりになった響きの心地良さが素晴らしくいつもああ~素敵と思います。聞いてるこちらも溶けるわ。
周囲を見回し皆と共に叫ぶ「ホサナ」、パンワインが私宣言ジーザスを真剣に聞き入る姿、使徒内の小競り合いを止めようとする姿。仲違いの予感を感じても頭抱えるだけで先が見えているわけではない。大森シモン、1961映画WSSのアイスみたいだという私感。
身長や体格は生まれ持ったものかもしれませんが舞台映えするように生かしているのはご本人だと思うから才能だと私は常々思うんですよね。歴長いわけでないから拝見できたうちのお話だけれど力強い、支える、両翼などで得られた経験を注ぎ込んでいるシモンに見えて素敵だなと思うわけです。とはいえその好きだと思う仕草などを言葉にするのはとても難しく感じる。なぜなら私は手を広げる1つをとっても"らしさ"を感じて素敵だなと思うわけだから。
シモンナンバー、御輿の人々を肩を腕で支えて押し返す力強さがドンピシャで好きです。こういう仕草にみんな貴方を求めているのですの"みんな"の視野の広さを感じる。
ナンバーあれだけ力強い、熱いシモンなのに晩餐でそっと手に取ったパンを小さく一口大にちぎって口に運ぶ控えめで真面目な姿垣間見れちゃうの解放を待つシャウティングチキン🐔
ペテロパート「道を急ぎすぎた貴方です」はマリアの歌声の上にのり、「今のうちにやりなおすことはできないのですか」は支えに聞こえるのだけどこの役割が入れ替わるのとても難しいんだろうなと聞いてて思います。心地よく辻ペテロ歌ってらっしゃるから凄いなと思うのだけどもっと凄さを知りたさある。
どう考えても視覚で物事をとらえるタイプだからデュエットはペアダンス、ハーモニーは群舞なのかなと思って視覚化してます。
お互いの魅力を出し合ってバチバチしてるのも素敵だし、寄り添うだけでなく自分も相手もより魅力的に見せるのも素敵だし、みすゞ。