2024/04/14(日)ソワレ
東京芸術劇場 プレイハウス
オンステージシート(舞台上の席)
キャストさん
ヴァイオレット:屋比久知奈
フリック:東啓介
モンティ:立石俊樹
ミュージックホール・シンガー:sara
ヴァージル:若林星弥
リロイ:森山大輔
ルーラ:谷口ゆうな
老婦人:樹里咲穂
伝道師:原田優一
父親:spi
ヤングヴァイオレット:生田志守葉
STORY
1964年、アメリカ南部の片田舎。
幼い頃、父親による不慮の事故で
顔に大きな傷を負ったヴァイオレットは、
25歳の今まで人目を避けて暮らしていた。
しかし今日、
彼女は決意の表情でバス停にいる。
あらゆる傷を癒す
奇跡のテレビ伝道師に会う為、
西へ1500キロ、人生初の旅に出るのだ。
長距離バスに揺られながら、
ヴァイオレットは様々な人と
多様な価値観に出会い、
少しずつ変化していく。
長い旅の先に彼女が辿り着いたのは―。
フィラデルフィアの聖歌隊(オンステージシート)でした🙌 pic.twitter.com/OPO5gKw7xI
— 明音 (@akane_akaruioto) 2024年4月14日
初めて自分でチケ買ったのは乱童という舞台で観に行った理由は高橋広樹さんが出演されるから。それまでアニメ、ラジオ、イベントなど広樹さんの声や映像の姿を見るばかりだったから舞台でまず思ったのは本当に居らっしゃるんだなという感想でした。観劇を趣味に出来てからは有難いことに舞台を観て役者さんを知ることが多くなりました。そのうちにステージと客席の間に自ら第四の壁を作ってたのかもしれません。
オンステージシートは壁の内側へ私から歩んで座った席となり、等身大の俳優さんたちを体感して目の前にいて生きてらっしゃるんだなと強く思いました。初演は未見ですが今回はプロセニアムの内側は言葉の通りステージに含まれていて、ただ席があるだけでなく取り込まれる感覚があります。エクウスの傍聴席とも違って拍手などの反応を促されるのが新鮮です。歩き回ったり自分でステージを選択しないという意味でもそうだけどイマーシブの居るともまた違って目撃者であり、参加者である。
ステージ上の登場人物にかなり気持ちが寄り添ってしまうことや後ろ姿、仕組みが見えてしまうことを考えても明らかに初見席ではないわけで。事前に眺めるべき光景を観たり、テレビ伝道師にドン引きしたりしてて良かったなと思いながら見てました。
その最たるもので言えばテレビ伝道師に憐れみの気持ちを抱いたってことでしょうか。伝道師への憐れみというのは勝手に想像しただけですがトラックの荷台での奇跡とテレビを通して伝える奇跡、例え見せるものが同じであったとしても奇跡を見た人々が伝道師に求める癒しが同じものではないんだろうとジュークボックスの例えで思いました。ヴァイオレットからすると奇跡を起こしてくれないと思うわけです。でも伝道師は冷たく言い放つわけでもなく、突然の不審な来訪者にわりと優しく言葉をかけていると私は感じます。伝道師もヴァイオレットの傷跡について気にするわけでもなく接しているし…と言葉にしているとあの怪しい伝道師に大分肩入れしてるなと思います(笑)
伝道師に関しては「ジーザスは~」のコーラスで胡散臭さの圧がものすごいことを添えたい。目が醒める。スーパー伝道師タイム(SDT)中に過剰に軽やかに只者ではない躍りを見せつける伝道師がいますが初日とこの日では振りが違うように思った。けど自由なんですか?いずれも華麗に踊ってらして選択のセンスが好きすぎる(笑)ダブルトラブルの1幕ラストでコーラスライン「I hope I get it」をパッと踊ってるあたりも凄く好きでツボだったから謎に好きw
原田さんのドライバーも、伝道師も濃ゆいだけ濃ゆいのに乗客のジョージさんがぼんやり座っているのあまりに平凡でとても好きです。
初見の三浦さんではストプレなミュージカルなんだなと感じていました。今日の屋比久さんではVioletはミュージカルだったんだなと思いました。これ多分ヴァイオレット像の印象も大きく作用してる気がします。
三浦さんヴァイオレットと立石さんモンティの間にはピュアさがあって、それ以前のシーンは純朴なのに眠るモンティに歌うヴァイオレットは母のようだと感じました。再度観たら変わるかもですがモンティは真剣に恋をした青年に見えたので私はフリック寄りの見方をしたのかもしれません。
告白をしたら5セントと言われてやって来た人が少なくとも1人いたことにやっと気づきました。モンティが何故ヴァイオレットに近寄ってきたか理解しながらもメンフィスにいる娼婦ごとく愛しているように感じました。だからモンティはなんでもしたくなるのかなとも。とても恋じゃない。
当然恋するフリックの見え方も変わって三浦さんでは例えモンティが好きだとしても一歩踏み出しているように見えるし、屋比久さんではヴァイオレットが求めている人こそ貴方なのに一人相撲見てる気分になる(笑)どちらのヴァイオレットもモンティが求める愛には出会ってきても、フリックの愛には出会ってなくて未知だから受け入れきれないもどかしさが何とも言えないですよね。
完全なる贔屓目ですけど父親がストプレ(みたいなミュージカル)、ミュージカル共に馴染んで父親であるの、spiさんのありのままの自然さを味わって格好いい~~!!となるなど!
ありのままとは言ったけれどオンステージシート、裏側がバリバリ見えるから俳優さんは空間把握と見せるべき光景の想定をされてるんだなとよく分かりました。父親も腕をまくるのは客席側だけ。普段見えないことに気づける席の貴重さ!とても楽しい!
ステージ上だから音より先に振動で人を感じる。前方席でも生声が届く良さ感じますが舞台上の生声のハーモニー素敵だな~と思って。これまた贔屓目なんですが響きの声が好きなのでspiさんのステージ上いっぱいに広がって力持ちなお声めちゃくちゃ好き~~ほんといい!
オンステージシートは光景だけでなく音楽(歌声)も俳優さんたちが届けたい方向、場所ではありません。目標地点へ目掛け発した混ざり合う前のお声聞ける席とも言えるのかなと感じました。マイ・ウェイだったはずですがspiさんが一番後ろから空間全てを歌声で包み込んでたの果てしなく好き。昇華される。歌声もアップって言うのかな?譜面上の音だけでなく歌声が上向きの音の飛ばし方だから父親がヴァイオレットの幸せなこれからを見守っている感覚でとても好きだなと思ったのを思い出しました☺️
そういえば舞台って物語といいますか、現実でないから真剣になれる良さがあるわけですけどモンティ見てると日本で戦争へ行くことが現実でないと言えるのか?と思っちゃう気持ちある。
作品中で好きな曲はカウボーイトリオが歌ってる曲です。
「欲しい、全て」の屋比久さんの歌い方がとても刺さった💘あれなんなの?とてもとても好き音源が欲しい
老婦人が思い出があれば生きていける的なこと言っていたと思うんですけどメンフィスの娼婦は正しく”思い出で生きている人そのもの”で同じ俳優さんが演じてることには意味があるのでしょうか?とロボ庭的に考えちゃう(笑)ヴァイオレットはBeautiful Ghostsなんでしょうね。
正直太古の昔に観たきりだから曖昧で違うかもだけどヴァイオレットとヤングヴァイオレットってモーツァルトとアマデみたい。あと天使にラブソングも思ったけど。まぁ私はいつだって考えているからCATSは勝手に感じるわけですがどちらかといえば思い出や壁抜け男のが近いのかな。
気づききれていないのも、無知なのもありますがまだ続いているを含めても全体の感想としてはっきり固まる感想はあまりない気がします。ポーカー分からないんだけどより良い手札を揃えていくことが出会いによってヴァイオレットに関わる人々がより良く変えていくことにかかってるんだろか?
フランスは美醜の作品(鐘、オペラ座、BB)が多いよなぁと前々から思っていました。いずれの作品も醜いのは男性で母の愛情を受けていない過去があったりして。ヴァイオレットは女性で父からは愛情を受けていても母が幼いうちに亡くなっている。だからまぁヴァイオレットが固執しているのは母からの愛情なのかなとぼんやり感じたわけですが再度観たら考え直してみようと思います。なんとなくマンマ・ミーア!のお父さん探しに似た衝動をヴァイオレットのお母さんに対する問いから感じる気がするから。
ミュージカル VIOLET-2024/04/07- - 珈琲とmilkのパーセンテージ
考えてみました。
母からの愛情というは多分女性という意味ではなくて産んでくれたこと=無償の愛の事な気がします。無償の愛を受けているか=自分自身が大切にされてきたのかを探しているように映ります。父親からすると船に乗って旅をしていた人が陸でヴァイオレットの傍にいることも無償の愛だと思いますが、ヴァイオレットからすると現実的な愛(数学、ポーカー)にしか気づけていなかったんでしょうか。
フリックからの無償の愛を受けて、父親の愛する役目が終わり、ヴァイオレットはこれからも愛されていくってことなのかな?そこらへんはもう少し考えます。
ちょうど私自身新たなスタートだったため、いつもより感情移入して見てしまったと思います。個人的に私の持ち合わせる経験では泣ける作品ではなかったです。俯瞰するミュージカルという印象。