珈琲とmilkのパーセンテージ

苦かったり甘かったりするので無機質の筆や箱で切り取ってみる。

かわいい刀には旅をさせよ

タイトル、恐れ多くはありますが💦

修行について書いたこと残す場所にします。

 

 

 

 

山伏国広の修行について

 最初に修行へ行く前、

「主殿!今日こそ山篭りの許可を願いたい!」

“今日こそ”??今まであれだけ言ってて修行行ってなかったの?というやつ。

私なんか始めてすぐだけど沢山聞いてるし

最初からお願いしてるのに許可してないって申し訳なさがすごい

でも本当に会ってすぐくらいから修行(極への修行)へ行くことを目標?にしているのは

大変モチベーション高くて最高に好き(笑)

きっと主もやっと許可出来るな…と

ぶっちゃんからの再三のお願いの言葉受け入れる準備をしてからの

修行なんだろうと思うとまたそれもドラマがあって熱い

修行に出すって思い入れがあればあるほど辛くもあるだろうから

ぶっちゃんが言葉で伝え続けてくれていたのは優しさなのかもしれないよね。

 

そして一日目のお手紙が届くまでドキドキしてたわけですが

届いてみたら朗らかな書き方で読んでいくうちに心が明るくなりました!

文章にも人柄は表れるものだよね。

読むだけで元気になれるって本当にぶっちゃんの器の大きさには驚きます!

あとでぶっちゃん好きな方の感想読んで確かに!と思ったことの一つは

手紙でもカカカカカ!と書くんだっていうやつ(笑)

落ち着いてみれば笑ってしまうよね。

 

そして今日です!

カカカカカ!までしか平穏はなかった(笑)

他の山伏の時点でえええええええええええと心の雄叫び止まらんやつ。

外伝や〜〜〜〜ん!しんどみ〜〜〜

山伏にあったで時が止まるほど高鳴る心臓…

ほええええええ

前から思ってましたが「である」って語尾かわいいね〜〜〜

「山伏が打とうとしている太刀。
それこそが、主家再興の祈りを込めて打たれた山伏国広。
即ち拙僧であるのだから。」

そういう文章の書き方するんだなと思いますよね

相手を安心させた後に急転直下ドキドキさせて朗らかにまとめて

最後に本気の部分チラリと見せる

そんなん好きじゃんんんん

第一印象裏切らない

それにしても

いやいやいや?いつの段階で会ったんです??

外伝の前なのか、後なのか?

明日の手紙で時期が分かっても分からんでも

ぶっちゃんは素知らぬ顔で山伏と接するんでしょうね

大人や…かっけえ(歴史干渉しないのだから当然なのかもですが)

ああ〜〜〜

ますます好きになる〜〜

今現在は一休さんのごとく好きが溢れてます…

 

 

蜻蛉切の修行について

蜻蛉さんの修行中の手紙について。

私も修行行けるようになりましたよ、というタイミングでこの手紙を読んでみたかった。

知識がないから無駄に長いだけ。

同じことも繰り返します。

蜻蛉切からの手紙で戦いと共にあった槍であることを強く感じました。


本多忠勝、その人が家康に何をもって忠義を尽くしていたのか。

家康が天下を取り、戦乱の世が終わっても家康に忠義を尽くすというのは

人柄に惚れているのか、目指す先が同じなのか…

古くから仕える家系らしいからもっと感情としては複雑なのかもしれないし

単純なのかもしれない。

今現在を見ても平穏が言葉通り平穏とは言えないから

尽くす意味はあったんだろうと思います。

 

ただ槍は戦いの中でしか使われないもの。

平穏が訪れれば美術品に戻る。

自身の力が最も発揮できる場所を知っているからこそ

元主 本多忠勝の忠義以上に蜻蛉切の言葉は重く受け止めるものがあります。

 


本多忠勝の辞世の句
「死にともな、嗚呼死にともな、死にともな、深きご恩の君を思えば」

戦国時代に神がかりの57戦無傷!徳川家康を支え続けた猛将、本多忠勝の忠義 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン

これはどうやら後々に忠臣ということから重ねられた可能性もあるようで

辞世の句として定かではないようです。

だとしてもホトトギスのように周囲や後々の印象は

この辞世の句が“らしい”と感じる人であったということなんでしょう。

 


「侍は首取らずとも不手際なりとも、事の難に臨みて退かず、

主君と枕を並べて討死にを遂げ、忠節を守るを指して侍という」
『名将言行録』より

侍は首を取れず手柄など上げれなかったとしても、困難に向かって退くことなく、

主君と共に討死にをし、最後まで忠節を守る者を侍という

https://bushidonow.com/loyalty/%E5%BF%A0%E7%BE%A9%E3%81%AE%E5%8A%9B


なんとなく印象通りと思いやすい言葉なのだけれど

引用されていた『名将言行録』は幕末の館林藩士 岡谷繁実が作ったもので

明治2年初版であり、これもまた定かではないようです。

しかし家康への忠義が印象深い人物というのは確かなんだろうと思います。

 


手紙一通目

本多忠勝や見知った人々と共に戦場を駆け

勘を研ぎ澄ますことで、お役に立てるようになる

修行をどう行おうとしているのか話しています。

しっかりとプランがあるのは素晴らしいことですね!


手紙二通目

本多忠勝の武勇を目にし、主が自分に求めている強さはこれであると思うと誇らしくもあり、同時にその期待の重さに身が引き締まる思いです。と書いています。

蜻蛉切自身は元主のような強さを求められていると思っているのだなと思いました。


手紙三通目

家康が天下を取った後の本多忠勝を見て自分自身と重ね合わせます。

歴史を捻じ曲げようとする敵との戦いが終われば、おそらく自分たちの出番はなくなり、再び美術品に戻る運命が待ち受けていることでしょう。

〜〜〜〜〜

自分もまた己の存在意義がなくなるその日のために、主のために戦い続けましょう。

本多忠勝は人であるから出来ることもあろうと思いますが

槍である蜻蛉切は戦の中でこその存在なのだと感じます。


今まで実戦刀でない刀の戦う意味に注目していたけれど

実戦刀が再度活躍の場を得たということによる運命に

真正面から向き合いそれでも戦う、と言葉にしていることに悲しさと決意を感じます。

戦えば少なからず傷を負うもの。

なんの為に戦っているのか(困ったことにそれが分からないわけですけども)

常に考える必要を感じます。


三通目が衝撃的で極で戻ってきた時、めちゃくちゃ感動した

まだまだ全然知らないことばかりだからせめて知っていきたい〜〜!