2022/03/12(土)ソワレ
東京建物ブリリアホール
あらすじ
この世界に たった二人だけの兄弟 どんな時も 二人で生きてきた
弟の進学費用のために空き巣に入り、強盗殺人を犯してしまった兄・武島剛志。高校生の弟・直貴は唯一の肉親である兄が刑務所に 15年間服役することになり、突然孤独になってしまう。兄が殺人を犯した事実はすぐに広まり、加害者家族となった直貴に向けられる周囲の目は一変した。高校卒業を控えたある日、直貴の元に服役中の兄から 1通の手紙が届いた。それから月に一度、欠かさず手紙が届くようになる。兄からの手紙には獄中での穏やかな生活が書かれている一方、直貴は「強盗殺人犯の弟」という肩書により、バンド・恋愛・就職と次々に夢を奪われ苦しみ続けていた。年月が経ち家族を持った直貴は、ある出来事をきっかけに、ついに大きな決断をするのだった。
キャスト・スタッフ出演
武島直貴(弟) 村井良大
武島剛志(兄) spi
由美子 三浦透子
ユースケ 中村嶺亜(7 MEN 侍 / ジャニーズJr.)
コータ 佐々木大光(7 MEN 侍 / ジャニーズJr.)
アツシ 今野大輝(7 MEN 侍 / ジャニーズJr.)
朝美 青野紗穂
孝文、忠夫 染谷洸太
検事 遠藤瑠美子
緒方敏江 五十嵐可絵
平野 川口竜也
幼少の直貴(声のみ) 奥田奏太
幼少の剛志(声のみ) 渡邉隼人
ミュージシャン
村井一帆(pf)
えがわとぶを(Bass)
萱谷亮一(Perc)
中村康彦(Gtr)
古池孝浩(Gtr)
土屋玲子(Vln)
日俣綾子(Vln)
三葛牧子(Vln)
スタッフ
原作:東野圭吾「手紙」(文春文庫刊)
脚本・作詞:高橋知伽江
作曲・音楽監督・作詞:深沢桂子
演出:藤田俊太郎
ミュージカル「手紙」2022 初日おめでとうございます✉️#ミュージカル手紙2022 pic.twitter.com/Bs5iFANpKF
— 明音 (@akane_akaruioto) 2022年3月12日
- あらすじ
- キャスト・スタッフ
- 「手紙」が舞台である良さ
- 手紙がミュージカルである理由
- ブリリアのライブ演出
- 気になった方の感想
- 舞台を観られて良かったと感じた場面
- どんな設定もありえる街・東京 地名から分かる特性
- コロナ禍で感じた情報格差
- 他の作品に影響されて考えた事柄
「手紙」が舞台である良さ
小説を読みながらも感じていたけれど人それぞれ合う伝達方法・媒体があって私の場合はそれが舞台なのだと改めて感じます。舞台になっていたからこそ小説を読んで舞台を観て物語に触れる機会があったし、考えるきっかけになりました。感謝!
もう序章読んだだけで『オリヴァー・ツイスト』のビル・サイクスの顛末を読んだときのようなくらい気持ちになる。何でなんだよ~~😭相手を大切に思ったとしても短絡的すぎる。
本来犯罪を起こそうと思っている人ではないのが剛志。だから指紋を残さないようにしなければと浮かばない(=計画性がない)し、優しかった老婦人に情が湧いたり、天津甘栗から弟を思い出したりと注意散漫。ピクニックにでも来たのかな?というくらいの感覚で犯罪を起こそうとしてるのに反して優しい感情で溢れてる。
ここ本当に見ていてしんどくて😭もし映像だったら止めて消して逃げてた。ただ舞台だったから、逃げられないから光景を見つめて考えられるんだなと。
小説の平野は「~人には繋がりがある。~だから殺人は絶対にしてはならないのだ。そういう意味では自殺もまた悪なんだ。」と話します。
手紙の時間は自ら終わりは選べず進んでいく、でも舞台には終わりがある。重い題材だからこそ必ず終わりのある舞台は現実ではなく、受け止めて考えられるなぁと私は思います。
ルールは守るべき。生まれる前からあったそのルールはなぜあるのか?どうして守らなければならないのか?考える必要があります。ルールには定められた理由や経緯があるから。平野も何かしら機会を得て悩み考えたことがあるんじゃないだろうか?直貴と剛志が悩み選んだ道筋を観ていって私も考える機会を得た気がします。
手紙がミュージカルである理由
――お話が遡って恐縮です。『手紙』という作品をミュージカルにしようと考えた経緯は?
ストレートプレイでなくミュージカルにこだわったのは、この作品の中で「音楽」が希望の象徴として描かれているからです。弟・直貴がずっと差別されている中で希望を見いだせたのはバンド活動です。好きな音楽があれば生きていけるかもしれないという微かな希望。しかも兄弟の心の中、奥底に流れているのはジョン・レノンの『イマジン』(注1)、すなわち本当に差別のない世界を歌っている歌です。この作品の中には常に音楽が流れていると感じたので、ストレートプレイでは表現しきれないんじゃないか、と思いました。さらに、この原作が持つリアルなテーマをストレートプレイで描くと、セリフ一言一言がダイレクトに入ってくるからどうしても重いものになってしまう。ミュージカルであれば歌やダンスが入ることによって、観る方にとっても受け止めやすいかなと考えました。
(注1)1971年に発表されたジョン・レノンの楽曲。ジョンのソロ時代のアルバム『イマジン』のタイトル・ナンバーで、ジョンのソロ作品の中では極めて人気が高い。国家や宗教や所有欲によって起こる対立や憎悪を無意味なものとし、曲を聴く人自身もこの曲のユートピア的な世界を思い描き共有すれば世界は変わると訴えかけている。多くの人々に愛唱されてきているが、共産主義的思想という批判もあり、時にはラジオやテレビなどで放送禁止になったりもする。『ミュージカル「手紙」2022』 インタビュー 脚本・作詞 高橋知伽江 | シアターテイメントNEWS (theatertainment.jp)
舞台(空間に身を置いてきっかり約束された時間内で物語を体感する)、その中でもミュージカル(直貴と剛志を繋ぐギターとイマジン、直貴の生活に影響を与えたバンドなど作中の音楽要素と意味・言葉を心へ運ぶ術)なの分かる気がする。ざっくりとした印象として小説より受け入れやすかったから。立場や距離をものともしない音楽という表現方法は直接触れられなくても思いが届くから。
ブリリアのライブ演出
「ジェイミー」一幕終わり、ミミ・ミーの初舞台。二階中央の迫り出した場所がステージになる場面、とてもキマって見えるし、観客客席が二重になっているのも好きでした!「手紙」でも二階がライブステージとなっていました!やはりライブ映えるなぁと思って✨
ユースケに誘われたライブの場面、拳突き上げて一体感味わう直貴を見ていて観客も一緒にやって良いやつかな?と思ったんだけど全体的な反応分からなくて気になる。そういうわけではないのかな?
コータ、アツシがスペシウム(バンド)を辞めてユースケがベースを弾く場面。ベースは歌やギターを支え、ドラムと共にリズムを刻んでいく楽器(だと思ってる)。おおよそ誰かがいて意味のある楽器だから寂しいなと感じました。慰問コンサートでユースケはベースじゃなくてアコギを弾いてる。
ライブ後、客席にいた直貴をユースケが誘い階段を上ってステージに上がる。
スペシウムを抜けてくれと説得されるあたり、納得するのは階段降りてからだったと思う。セットが好きだなぁという話。
気になった方の感想
武島直貴(弟) 村井良大さん
小説内の直貴はもっと押し込められて半分なげやりな雰囲気を感じていたから、村井さんの直貴が明るく感じました。生きてる上で常にどん底ということはないのだから明るいときもあれば暗いときもある。逆に明るく感じるからこそより深く暗くもなるのかな。
ユースケに誘われたライブの場面、直貴がそわそわしてるの、めちゃくちゃ楽しそうで可愛くて(その後の展開を知っていたとしても)心がふわっと明るくなる😂
喜びの感覚なのかもしれないけどちょっと弱ペダも思い出す。
コータ 佐々木大光(7 MEN 侍 / ジャニーズJr.)さん
冒頭、引越屋の先輩から目を引くダンスをされてて気になってしまったからダンスシーンがある度に探してしまった😊(でも探さなくても分かる)
検事 遠藤瑠美子さん
ボンバルリーナをされてた遠藤さんと知っているのは多いに影響してますがやはり手足の伸ばし方や体勢のシャープな美しさ素敵でした!
平野 川口竜也さん
川口フロロー未見なのだけど呟きやどうだったか聞いてジャベール観に行ったところがありました☺️平野は社長の役割で接しながら直貴が心を開く人。川口さんの絶妙なバランスの存在がとても好き。囚人も剛志の人柄が浮かび上がる関わり方で触れすぎない優しさがグッと来る。
舞台を観られて良かったと感じた場面
刑務所での剛志の周囲
剛志よりも早く刑務所に入っていた囚人たちへ届いた離婚届。直貴から届かなくなった手紙。戻ってきた手紙。転居先を高校の先生に訪ねたことが周囲の囚人たちに知れて"なぜ手紙が帰ってくるのか、なぜ転居先住所を教えないのか"を剛志に問いかけてくれる。私はこの場面がとても好きでした!剛志にも日々の生活がある。太ったことを指摘してくれる人がいるくらいなのだから親身になって言葉をかけてくれる人がいてもおかしくない。ただそれでも剛志は手紙を書く。「一文字一文字」それは反省と共に希望だから。そう強く分かったからこそ手紙を断たれた剛志の反応になんとも言えない気持ちになります。両手を合わせて壇上の直貴を見上げ 祈るような仕草は剛志にとっての直貴の存在がそれだけ大きいのだと感じました。
国家の一大事業だった写経がどのように繁栄し衰退していったか|格安の葬儀なら「心に残る家族葬」
小説にもあったけれど手紙を一文字一文字書くイメージは写経です。
兄弟の縁を切る直貴
ブリリアでは昨年「ジェイミー」を見ました。「ジェイミー」の中には女装をしたい息子ジェイミーを認められず拒絶した上、愛人と家庭を作っている父親が出てきます。作中この父親は一度足りともジェイミーに寄り添わず拒絶します。
小説読んだだけでは思い出さなかったのに劇場の記憶が感覚を思い出させてくれました。縁を切りたい人はそんな生半可な優しさは持ち合わせないんじゃないか?どうしたらいいのかは分からないけれど直貴が素直に縁を切れるとは思えない。
この過程をじっくりと見ていくような舞台。
お互いを見つける直貴と剛志
spiさんがきっかけで観に行っているから正直刺さりすぎて冷静ではないのだけど最後、直貴は剛志をなかなか見つけられず、剛志も心ここにあらず。少しづつ時が流れてついにお互いを見つける場面。感情感覚が観ている私の中にも生きている。
状況や人生を体感しているわけではないのだけれどその場面での言葉にならない込み上げるくしゃくしゃとした感情、溢れてくる涙を体感していると感じます。
支え合う関係性ではない家族も世の中にはあると思うけれど、剛志と直貴はお互いを大切にする家族なんだなと思う。
直貴がしている手紙を出さない、手紙が届かないようにする行動も剛志を思うからこそはっきり示せなかったのだろうし、剛志は直貴を側にいなくてもずっと気にかけている。大切にし合う家族だからこそ社会的な死は辛いしんどいものになる。
"人を傷つけてはいけません"それはそうだろうなだって痛いもん、では終わらない。突然繋がりが断たれた人がどうなるのか、そこも含めて"してはいけません"なんだと今回思いました。
ステージと客席には明確な隔たりがある。いくら近くても同じところに立っていない。絶対そうだという話ではないけれど剛志が舞台から客席通路へ降りて捌けるのは隔たりがあるまま各々生きていくことを強く感じる気がして。自ら同じところに立っていないと自覚して降りていく。今まで見てきた直貴の物語から自らの意思で降りていく。
どんな設定もありえる街・東京 地名から分かる特性
小説内の地名も直貴の状況が想像しやすい場所だなと感じていました。ミュージカルで描かれる秋葉原は地名が家電量販店に就職した説明になり、上野(もしくは神田)での飲みも街が繋がっていることを感じてとても自然に思えます。
小説で勤めた家電量販店、直貴一家が過ごしていた社宅は西葛西にありました。西葛西は大きな建物・家電量販店、社宅、他人への無関心かつ噂話が広がる狭いコミュニティ、ひったくり、これらがありそうな場所だと私は思います。
ただ知名度の高い場所ではないから秋葉原の電気街イメージで就職先の説明にしているのは舞台らしくスムーズで好きです!
秋葉原の看板も今はない石丸電気の看板があって昔の秋葉原なのだとよく分かります。
秋葉原はカルチャーの街でもあるけれどそれはセットにもあったラジオ会館のように電子機器に関わるお店が集まっている環境だったからこそ派生した背景がある。
コロナ禍で感じた情報格差
情報を得ることについてはコロナ禍で特に感じたことでした。どこから情報を得ているのか?どういう情報を得るのか?情報を確認するのか?得た情報を広めるのか?人それぞれの考え方を目に見えるかたちで体感したと思うから響きます。
そもそも正しい情報を受け取れる精神状態にあるか、欲しい情報を探す術を知っているか、本当に欲しい情報かどうか精査できるか、得た情報の取り扱い方を心得ているか。
たまにパッと検索して一番上に載ってる情報を鵜呑みにしちゃうことあるけれどそれで欲しい情報が得られたら図書館司書なんでいるのか分からなくなっちゃうよね。
欲しい情報の得方を知らない、それはとてもとても大きいハンデになってしまうと思います。今は自分の興味ある話題だけに触れて生きていける世の中です。自分の興味ある範囲ではない情報に触れる機会がどれだけあるか、個人的には無作為な情報に触れるの大切だと思います。
他の作品に影響されて考えた事柄
ロボット・イン・ザ・ガーデン
ひとつの星のささやかな
この世界 誰もがみんな 出会い
別れて紡ぎ続ける 営みを
それは 愛しい奇跡
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教えてくれた 僕もまた 奇跡紡ぐ一人だと
見渡す限り 瞬く光は すべて 命の灯火だ
喜び悲しみ 抱き締めながら 寄り添いあう
僕も返そう 両手で愛を
大事なものを守るため
やっと 気づいたよ
この世界が美しいと
「地上の星雲」
手紙を観ながら思い出していた一曲でした。分からないなりにぐっとくる。
マグリット「光の帝国」
塀の中と外、その壁一枚が何を意味するのか。
— 染谷洸太 Kota Someya (@someya_kota) 2022年2月8日
中から見る外、外から見る中。
両方を演じる僕らはリアルに想像する必要がある。
光と影は常に隣り合わせ、紙一重だったりするのかもしれない。
改めて、
手紙は絶望の話ではなく、希望の話なんだと思う。#ミュージカル手紙2022 pic.twitter.com/td5xrbUgRC
JCSの主役が民衆のように、手紙の主役は世間(これはどこかに書かれてた)なのかなと思い浮かんだだけの呟きらしい呟き。
キャッツ
社会的な死。人は繋がって生きている。例え一人の行動だろうと周囲に結びつく。人は常に孤独だけれど本当に関わりなく生きている人はいない。
私は自分自身を大切に出来ない描写が好きじゃなくてあまり見たくない。自分自身を大切にしないことは周囲の他者を大切にしないのと同義。ジェリクルソングより「生き抜けるか その孤独を」
一番思い浮かぶ社会的な死の光景がグリザベラなのだと思う。なぜグリザベラはあんなに疎まれているのか分からない、けれど「お願い 私に触って 私を抱いて 光と共に 分かるわ 幸せの姿が」が前より分かる気がする。
手紙読んでるんだけど第一章の終わり、「メモリー(一幕)」が頭に流れる。ただの印象ですが。
足元に散る枯れ葉渦巻き 風の嘆きが
街の灯は囁く 悲しい運命を
瞳は露に濡れる やがて夜明けかメモリー 月明かりの中
美しく去った過ぎし日を思う
忘れない その幸せの日々
思い出よ 還れ二幕じゃなくて一幕メモリーぽいなと。
天津甘栗のエピソードが"幸せの日々"に呼応したのだと思う。
誰にも触れられず疎まれ避けられたグリザベラが
老いと孤独を噛みしめつつ一人踊る。
幸せな思い出よ"還れ"と気持ちを吐露する場面。
ここグリザベラも還ることはないと知っていて"還れ"と歌っている気がするから。
はじまりの樹の神話
手紙のことを考えていると「生きるって、つながること」が何度も思い出される。
劇団四季:はじまりの樹の神話~こそあどの森の物語~:東京公演プロモーションVTR - YouTube
RENT
2000年には、大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済システムから脱却し、3R(注59)の実施と廃棄物の適正処分が確保される循環型社会の形成を推進するために、循環型社会形成推進基本法(平成12年法律第110号)が制定されました(注60)。その前後には、個別物品の特性に応じたリサイクルを推進するため、各種リサイクル法(注61)が制定されました。
1990年代初めのバブル景気の崩壊に伴い家計は引き締められ、また、環境問題が地球規模の問題として注目されるようになりました。さらに、2000年代から現在にかけては、少子高齢化の進展や急速な情報化、国際化により、社会経済情勢は加速度的に変化してきており、消費生活は更に多様化・複雑化してきています
2000年という節目からRENTを思い出します。手紙もRENTも同じく思うのだけど2000年生まれが22歳になる2022年。一様に”昔"である2000年の物語はどう受け止められるのだろうか?
昨日、初日の客席で、この舞台は進化するぞ!と感じました。お客様のパワーをいただきながら、日々大きく深くなってほしいです! https://t.co/h1D7Jr1iLk
— chikae.t (@chikae_ta) 2022年3月13日
#ミュージカル手紙2022
— 深沢桂子 (@KeikoFukazawa) 2022年3月12日
真っ青の空の下、初日の幕が開きました!
満員のお客様の拍手に感動の涙を流しました。
関わってくださった全ての方に感謝!
共に作り戦った3人。
脚本の #高橋知伽江 さん、演出の #藤田俊太郎 さん、そして音楽の #深沢桂子
27日まで走り続けます! pic.twitter.com/mdM8iSZzEv